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第2部5章 純度と単結晶――発明を商品へ変えた技術

AIインフラ・産業

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第2部 真空から結晶へ

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https://note.com/atom_/m/md08c7fdafe05

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第5章 純度と単結晶――発明を商品へ変えた技術

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1947年、点接触トランジスタは、半導体が信号を増幅できることを証明した。

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しかし、実験室で一個だけ動く装置と、通信機やラジオへ何千個も組み込める工業製品は同じではない。最初のトランジスタは、二本の金属接点をゲルマニウム表面へ押し当てた手作りの装置であり、接点の位置、圧力、表面の酸化や汚れによって特性が大きく変わった。

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トランジスタを商品へ変えるには、接点を器用に調整するだけでは足りなかった。

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必要だったのは、

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原子が規則正しく並んだ結晶を作り、 不純物を取り除き、必要な不純物だけを入れ、 同じ内部構造を何度でも再現する技術
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だった。

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1947年の発明が「半導体は増幅できる」と示したのに対し、1950年代初頭の材料技術は、「その増幅器を繰り返し作れる」ことを示したのである。

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1.発明しただけでは、商品にならない

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点接触トランジスタでは、二本の金属接点を数十マイクロメートルほどの距離へ置き、適切な圧力でゲルマニウム表面へ押し当てる必要があった。

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接点が少し動くだけでも、

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  • キャリアが届く距離
  • 接触抵抗
  • 整流障壁
  • 増幅率
  • 雑音
  • 周波数特性
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が変化する。

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そのため、同じ図面を使って作っても、すべてが同じ性能になるとは限らなかった。

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実験室の発明

一個を慎重に調整する
        ↓
増幅を確認する


工業製品

同じ工程を繰り返す
        ↓
多数が同じ規格で動く
        ↓
故障時に交換できる
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ベル研究所が電話網で必要としていたのは、記念碑的な一個ではなく、長期間動作し、交換可能で、特性を予測できる大量の増幅素子だった。1947年のトランジスタ発明後も、材料、接合、表面処理、電極形成、封止を含む「基礎開発」が続けられた。(Nokia Corporation | Nokia)

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2.多結晶では、原子の並びが途中でぶつかる

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固体の中で原子が規則的に並んでいる領域を結晶粒という。

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多数の小さな結晶粒が集まった材料が多結晶である。それぞれの結晶粒では原子が規則正しく並んでいても、隣の粒とは向きが異なる。

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結晶粒A      結晶粒B

● ● ● ●     ●   ●
 ● ● ● ●      ●   ●
● ● ● ●     ●   ●

        ↑
      粒界
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二つの並びがぶつかる境界を結晶粒界という。

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粒界では原子の結合が乱れ、電子や正孔が捕らえられたり、散乱されたり、再結合したりする。さらに、不純物が粒界へ集まりやすく、場所ごとに電気抵抗やキャリア寿命が変わる。

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整流するだけの鉱石検波器なら、感度のよい場所を探して使うこともできた。しかし、薄いベースを通してキャリアを移動させる接合型トランジスタでは、途中に予測不能な粒界があることは大きな問題だった。

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トランジスタには、原子の並びが途中で途切れない材料が必要だった。

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3.単結晶とは、全体が一つの原子配列を持つ結晶である

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単結晶とは、材料全体で結晶方位が連続し、一つの大きな結晶として原子が並んでいる固体である。

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単結晶

● ● ● ● ● ● ●
 ● ● ● ● ● ● ●
● ● ● ● ● ● ●
 ● ● ● ● ● ● ●
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内部に欠陥がまったくないという意味ではない。しかし、多結晶のように多数の粒界が横切っていないため、電子や正孔の移動を予測しやすい。

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トランジスタにとって、単結晶には三つの重要な意味があった。

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第一に、キャリアが結晶内を移動するとき、粒界による予測不能な障害が減る。

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第二に、添加した不純物の働きを理解しやすくなる。

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第三に、結晶のある場所をp型、別の場所をn型にすることで、狙った位置へp-n接合を作れるようになる。

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コンピューター歴史博物館は、トランジスタを作るにはゲルマニウムやシリコンなどの半導体結晶が必要であり、ゴードン・ティールが大型単結晶の重要性を強く主張したと記録している。(CHM)

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4.純度と単結晶は、同じ意味ではない

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高純度であることと、単結晶であることは別の条件である。

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高純度だが多結晶

未知の元素は少ない
しかし粒界が多い


単結晶だが低純度

原子配列は連続している
しかし未知の不純物が多い
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理想的な半導体材料には、両方が必要になる。

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高純度
+
単結晶
+
制御されたドーピング
        ↓
予測可能な半導体
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純度を上げるのは、すべての不純物を永久に排除するためではない。未知の不純物を減らし、その後に意図した元素だけを、意図した量だけ加えるためである。

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単結晶化は、原子の並びをそろえる技術であり、高純度化は材料の化学組成をそろえる技術だった。

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5.1917年、チョクラルスキー法の原型が示された

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大型単結晶を作るうえで重要になったのが、ポーランドの化学者ヤン・チョクラルスキーが1917年に発表した結晶成長法である。

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溶融した材料の表面へ、小さな種結晶を接触させる。種結晶を回転させながらゆっくり引き上げると、液体中の原子が種結晶の並びを引き継いで固まり、細長い単結晶が成長する。

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       引き上げる
           ↑
        種結晶
           │
       成長した結晶
           │
    ┌──────────┐
    │ 溶融した材料 │
    └──────────┘
          るつぼ
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もともとチョクラルスキーの研究は金属の結晶化速度を測るためのものだった。しかし後に、ゲルマニウムやシリコンの大型単結晶を引き上げる方法として応用された。

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1940年代末のベル研究所では、ゴードン・ティールがこの原理を半導体へ適用しようとした。(CHM)

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6.ゴードン・ティールは、大きな単結晶が必要だと主張した

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ショックレーが接合型トランジスタを理論化しても、それを作れる材料がなければ装置にはならない。

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ベル研究所の化学者ゴードン・ティールは、均質なトランジスタを作るには、小さな結晶粒の集合ではなく、大型のゲルマニウム単結晶が必要だと考えた。

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当初、その考えは研究所内で十分に支持されなかった。そこでティールは、機械技術者ジョン・リトルや技術者アーネスト・ビューラーらの協力を得て、結晶引き上げ装置を組み立てた。

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1949~1950年ごろ、彼らは溶融ゲルマニウムへ種結晶を入れ、ゆっくり引き上げることで、長く均一な単結晶を成長させることに成功した。ティールとリトルは1950年にゲルマニウム単結晶成長の成果を発表している。(CHM)

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ショックレーは後に、この大型単結晶の実現を、初期半導体分野における極めて重要な進歩と評価したと伝えられている。(CHM)

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7.種結晶が、原子の並ぶ方向を決める

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単結晶の成長は、溶けた材料が無秩序に固まるだけではない。

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最初に入れる種結晶が、後から固まる原子へ並び方の見本を与える。

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種結晶

● ● ●
 ● ● ●
● ● ●
   ↓

溶融材料中の原子が
同じ並び方で固まる
   ↓

大型単結晶
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引き上げ速度が速すぎれば、結晶の直径や品質が不安定になる。温度分布が乱れれば、複数の結晶が成長したり、内部に欠陥が生じたりする。

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したがって結晶成長装置には、

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  • 溶融温度
  • 引き上げ速度
  • 回転速度
  • るつぼの状態
  • 周囲の雰囲気
  • 不純物濃度
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を制御する必要があった。

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半導体製造はこの時点から、回路を組み立てる仕事だけでなく、結晶そのものを成長させる精密な材料工程になっていった。

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8.単結晶でも、不純物が不均一なら特性はそろわない

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長い単結晶を作れても、その端から端まで同じ電気特性を持つとは限らない。

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結晶が溶融材料から固まるとき、不純物は固体と液体へ同じ割合で入るとは限らない。ある不純物は固体へ入りやすく、別の不純物は液体側へ残りやすい。

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そのため、結晶を引き上げるにつれて、溶融液内の不純物濃度が変化し、成長した結晶の位置によって抵抗率が異なることがある。

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結晶の上部    不純物濃度A
      │
      │
      │
結晶の下部    不純物濃度B
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単結晶化は粒界を取り除いたが、化学的な不均一まで自動的に消すものではなかった。

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そこで必要になったのが、材料をさらに高純度化する技術だった。

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9.1950~1951年、ゾーン精製が不純物を端へ運んだ

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ベル研究所のウィリアム・ファンとヘンリー・シューラーは、1950~1951年ごろ、ゲルマニウムを超高純度化するゾーン精製を開発した。

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棒状のゲルマニウムの一部分だけを加熱して溶かし、その狭い溶融帯を端から端へゆっくり移動させる。

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ゲルマニウム棒

固体 溶融帯 固体
████|~~~~|████
          →

溶融帯を右へ移動
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多くの不純物は、固体の結晶中よりも液体中へ残りやすい。そのため溶融帯が移動すると、不純物も液体部分に取り込まれたまま一緒に移動し、棒の端へ集められる。

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最初

不純物 ・ ・ ・ ・
████████████████


精製後

高純度領域    不純物集中
████████████|・・・・
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この操作を何度も繰り返し、最後に不純物が集中した端部を切り落とすことで、中央部分に極めて純度の高い材料を得られた。(CHM)

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9.5 ゾーン精製と単結晶成長は、同じ工程ではない

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ここで、ゾーン精製とチョクラルスキー法の役割を整理しておこう。どちらも高品質な半導体材料を作る技術だが、解決する問題は異なる。

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ゾーン精製の主な目的は、材料に含まれる不要な不純物を減らすことである。棒状のゲルマニウムやシリコンの一部分だけを溶かし、その狭い溶融帯を端へ移動させる。不純物の多くは固体より液体へ残りやすいため、移動する溶融帯に取り込まれ、棒の終端へ運ばれる。最後に不純物が集中した部分を切り落とせば、残った部分の純度を高められる。

#

これに対してチョクラルスキー法は、原子の並ぶ方向をそろえ、大型の単結晶を作るための技術である。高純度の原料をるつぼ内で溶かし、小さな種結晶を触れさせ、回転させながらゆっくり引き上げる。液体中の原子が種結晶の配列を引き継いで固まることで、大きな単結晶インゴットが成長する。

#
ゾーン精製
不純物を端へ運ぶ
        ↓
化学組成を整える

チョクラルスキー法
種結晶から結晶を育てる
        ↓
原子配列をそろえる
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したがって、通常は完成したチョクラルスキー単結晶を後からゾーン精製するのではない。完成した単結晶の一部分を再び溶かせば、その領域を再結晶化させる必要があり、結晶方位や欠陥の制御が難しくなる。基本的には、原料をあらかじめ高純度化し、その材料から単結晶を成長させる。

#
低純度材料
    ↓
化学的精製・ゾーン精製
    ↓
高純度原料
    ↓
単結晶成長
    ↓
高純度単結晶
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ただし、ゾーン精製と単結晶成長を一つの工程にまとめた方法もある。これが後に発達したフロートゾーン法、FZ法である。多結晶シリコン棒へ局所的な溶融帯を作り、種結晶側から移動させると、溶融帯の後方は種結晶と同じ向きの単結晶として固まり、同時に不純物は溶融帯とともに端へ運ばれる。

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つまりFZ法では、

#
溶融帯による不純物の移動
            +
種結晶による単結晶成長
            ↓
高純度単結晶
#

が同時に進む。

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純度と単結晶性は別の条件であり、ゾーン精製は主に「何が混ざっているか」を整え、単結晶成長は「原子がどの向きに並ぶか」を整える。半導体を商品へ変えるには、この二つを適切な順序で組み合わせる必要があった。では、ゾーン精製で不純物が溶融帯へ取り込まれ、移動する帯とともに端へ集まるのは、なぜなのだろうか。

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10.なぜ不純物は溶融帯へ集まるのか

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不純物が固体と液体のどちらへ入りやすいかは、概念的には偏析係数で表せる。

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k=CsolidCliquid{k=\frac{C_{\mathrm{solid}}}{C_{\mathrm{liquid}}}}
#

ここで、

#

Csolid{C_{\mathrm{solid}}}
:固体側の不純物濃度である。
Cliquid{C_{\mathrm{liquid}}}
:液体側の不純物濃度

#

(k<1) の不純物は、固体へ入りにくく、液体側へ残りやすい。溶融帯を移動させると、不純物が液体に追い立てられるように棒の端へ運ばれる。

#
固体化する部分

純粋な母体原子は結晶へ入る
不純物は液体側へ押し出される
                 ↓
        溶融帯とともに移動
#

ゾーン精製は、不純物を化学反応だけで除去するのではなく、固体と液体への入りやすさの違いを利用した技術だった。

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この考え方は、後のゲルマニウム、シリコン、高純度金属の製造にも大きな影響を与えた。(CHM)

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11.高純度材料は、性質を持たない材料ではない

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高純度化すると、ゲルマニウムやシリコン中の自由な電子や正孔は少なくなり、電気抵抗は高くなる。

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一見すると、電気を流しにくくするために精製しているようにも見える。

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しかし目的は、電流を完全に止めることではない。

#
未知の不純物が多い材料

誰が電子を増やしているのか不明
誰が正孔を増やしているのか不明
        ↓
特性を設計できない


高純度材料

ほぼ中立な出発点
        ↓
既知の不純物を加える
        ↓
特性を設計できる
#

高純度化によって、微量のドーパントが材料全体の性質を支配できるようになる。

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つまり純度とは、半導体を空白へ戻し、その上に望む電気的性質を書き込むための土台だった。

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12.不純物は、汚染から設計要素へ変わった

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高純度結晶へ、電子を余分に与えるドナー不純物を加えればn型になる。電子の空席である正孔を作るアクセプター不純物を加えればp型になる。

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高純度ゲルマニウム
       │
       ├─ ドナー添加 → n型
       │
       └─ アクセプター添加 → p型
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重要なのは、元素の種類だけではない。

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  • どれだけ加えるか
  • いつ加えるか
  • 結晶のどこへ入れるか
  • どの深さまで広げるか
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によって、接合位置、抵抗率、キャリア濃度、増幅率が変わる。

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戦時中には不純物は性能を乱す敵だった。しかし1950年代には、純度の高い材料を出発点として、必要な不純物を制御して入れることが半導体製造の中心になった。

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12.5 純度、結晶、濃度、表面――不純物を設計する技術体系

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不純物が単なる汚染ではなく、n型やp型を作る設計要素へ変わると、半導体製造には新しい課題が生まれた。必要な元素を加えるだけでは足りない。まず、もともと混ざっている未知の不純物を減らし、原子配列を単結晶としてそろえ、そのうえでドーパントの種類、濃度、位置を制御しなければならない。

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後に開発されたゾーン精製、チョクラルスキー法、フロートゾーン法、化学精製、エピタキシャル成長、磁場印加チョクラルスキー法は、同じ目的を持つ競合技術ではない。それぞれが、

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何が混ざっているか
原子がどの向きに並ぶか
不純物をどこへ置くか
表面へどのような層を作るか
#

という異なる問題を解決した。

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ここでは1951年以降の技術も先取りしながら、不純物を設計要素へ変えた材料技術の流れを整理しておこう。

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チョクラルスキー法――原子の向きをそろえる

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出発点は、ポーランドの化学者ヤン・チョクラルスキーが1917年に発表した結晶引き上げ法である。溶けた材料へ小さな種結晶を触れさせ、ゆっくり引き上げると、液体中の原子が種結晶の配列を引き継ぎながら固まる。当初は金属の結晶化速度を調べるための方法であり、半導体製造を目的とした発明ではなかった。(CHM)

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この原理を半導体用の大型単結晶へ結び付けた立役者が、ベル研究所のゴードン・ティールである。ティールは機械技術者ジョン・リトル、技術者アーネスト・ビューラーらと引き上げ装置を作り、1949~1950年ごろに大型のゲルマニウム単結晶を成長させた。これによって、小さな結晶片の中から良い部分を探すのではなく、性質のそろった長い結晶を最初から育てる道が開かれた。(CHM)

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ただし、チョクラルスキー法そのものは不純物を完全に除去する技術ではない。原料に不純物が残っていれば、それも融液へ入り、成長した結晶へ取り込まれる。また、結晶成長中には不純物の固体と液体への入りやすさが異なるため、インゴットの位置によって濃度が変わることもある。

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つまりチョクラルスキー法が主にそろえるのは、原子配列の向きである。

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ゾーン精製――未知の不純物を端へ追いやる

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化学組成を整える技術として大きな転換をもたらしたのが、ベル研究所のウィリアム・G・ファンが1950~1951年に開発したゾーン精製である。

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棒状のゲルマニウムの一部分だけを溶かし、その狭い溶融帯をゆっくり移動させる。多くの不純物は固体より液体へ残りやすいため、再び固まる部分から排出され、溶融帯とともに端へ運ばれる。これを繰り返して不純物が集まった端を切り落とせば、残った領域を超高純度化できる。(CHM)

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ファンの功績は、純度を単なる材料の評価値から、工程によって操作できる変数へ変えたことにある。

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未知の不純物が多い材料
        ↓
ゾーン精製
        ↓
背景不純物が少ない材料
        ↓
既知のドーパントを加える
        ↓
n型・p型を再現よく設計
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高純度化の目的は、不純物を永久に排除することではない。何が入っているか分からない状態をいったん消し、その後で必要な不純物だけを入れ直すことだった。

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フロートゾーン法――精製と単結晶成長を同時に進める

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ゲルマニウムに用いられた初期のゾーン精製を、シリコンへそのまま適用することは難しかった。シリコンは融点が高く、溶融状態では容器材料から汚染を受けやすい。

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そこでベル研究所のヘンリー・シューラーは1952年から、溶融帯をるつぼへ入れず、固体棒の間へ表面張力で保持するフロートゾーン法を開発した。米陸軍通信隊のポール・ケックとマルセル・ゴレイ、ドイツのSiemensでエーバーハルト・シュペンケの下にいたR・エマイスらも、同時期に独立して同様の方法を発展させた。1955年初めには、シューラーが10億分の1を下回る不純物濃度のシリコンを得ていた。(CHM)

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フロートゾーン法では、移動する溶融帯が不純物を端へ運ぶ一方、その後ろ側は種結晶の方位を引き継いで単結晶として固まる。

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溶融帯による不純物の移動
              +
種結晶による単結晶化
              ↓
低酸素・高純度の単結晶
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現在もFZ法は、石英るつぼを使用しないため酸素が入りにくく、高抵抗率や長いキャリア寿命が必要な高電圧パワー半導体などに用いられる。ただし大口径化や生産性には制約があり、SiltronicはFZ単結晶を主に200ミリメートルまでの特殊用途向けに供給している。(Siltronic)

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シーメンス法――高純度原料を化学プラントで大量生産する

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現在の半導体用シリコンでは、単結晶成長前の原料高純度化を、ゾーン精製だけで行うわけではない。

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1950年代半ば、SiemensとWackerの研究・製造チームは、金属シリコンをトリクロロシランへ変え、蒸留で不純物を除去し、加熱したシリコン種棒へ高純度シリコンを析出させる工程を工業化した。一般にシーメンス法と呼ばれるこの方法は、一人の発明者による装置というより、塩素化、精密蒸留、気相析出、反応ガス回収を結合した化学プラント技術である。Wackerは1950年代半ばに半導体用多結晶シリコンの生産を開始し、その後、工業規模へ拡大した。(Wacker)

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現在の代表的な工程では、金属シリコンを化学精製して極めて純度の高い多結晶シリコンを作り、それを砕いてCZ炉へ入れる。Wackerは現在、蒸留したトリクロロシランからシーメンス法で最大12N級の多結晶シリコンを製造している。(Wacker)

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金属シリコン
    ↓ 化合物化
トリクロロシラン
    ↓ 蒸留
超高純度ガス
    ↓ 気相析出
高純度多結晶シリコン
    ↓
CZ・MCZ・FZによる単結晶化
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ここでは、ゾーン精製が消えたのではない。原料を大量に高純度化する役割を化学精製が担い、FZ法は特に高純度・低酸素が必要な単結晶へ残るという、用途分担が生まれたのである。

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エピタキシャル成長――結晶全体ではなく、表面へ設計層を作る

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大型単結晶を作った後、ウェハー表面へ別の濃度や組成を持つ薄い単結晶層を成長させる技術が、エピタキシャル成長である。

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1951年、ゴードン・ティールとハワード・クリステンセンは、基板の原子配列を引き継ぐ薄い結晶層の成長法を開発した。1960年には、イアン・ロスの推進を受けたヘンリー・シューラーらのチームが、化学気相成長によってシリコン・トランジスタへ薄いエピタキシャル層を形成し、耐圧とスイッチング速度を両立させた。(CHM)

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現在では、完成したポリッシュト・ウェハー上へ、基板と異なる抵抗率を持つ単結晶膜を成長させるエピタキシャル・ウェハーが製造されている。さらに先端トランジスタでは、シリコン、シリコンゲルマニウム、リン添加シリコンなどを特定領域だけへ選択成長させ、チャネルのひずみやソース・ドレインの抵抗まで設計する。(sumcosi.com)

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不純物制御は、結晶全体の平均濃度を決める段階から、ナノメートル単位の層ごとに濃度と材料を変える段階へ進んだのである。

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MCZ法――融液の流れまで制御対象になった

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CZ法では、石英るつぼから酸素が入り、融液の対流によって酸素やドーパントの分布が揺らぐ。結晶口径が大きくなるほど、融液内の温度と物質輸送の制御が重要になる。

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1980年ごろ、K・Hoshi、T・Suzuki、Y・Okubo、N・Isawaらは、CZシリコン成長へ横磁場を加える研究を報告した。磁場によって導電性の融液の動きを抑え、温度、酸素、ドーパントの分布を安定させる考え方が、磁場印加チョクラルスキー法、MCZへ発展した。1989年にはH・HirataとK・Hoshikawaが軸対称カスプ磁場によるシリコン成長を報告している。(Springer Nature Link)

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現在のウェハーメーカーは、用途に応じてCZ、MCZ、FZを使い分けている。SUMCOは、金属不純物が数ppb以下の多結晶シリコンへホウ素やリンを微量添加してCZ単結晶を育て、要求に応じてMCZや低酸素のFZを選択している。(sumcosi.com)

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現在の工程は、発明を用途別に組み合わせる

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現代の代表的な順序は、次のように整理できる。

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金属シリコン
    ↓
シーメンス法などによる化学精製
    ↓
超高純度多結晶シリコン
    ↓
CZ法・MCZ法
またはFZ法
    ↓
単結晶インゴット
    ↓
切断・研磨・洗浄
    ↓
必要に応じて
エピタキシャル成長・熱処理・接合
    ↓
用途別シリコンウェハー
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一つの絶対的な最適解が存在するわけではない。大口径と量産性を優先するロジックやメモリではCZ・MCZが中心となり、低酸素、高抵抗率、長いキャリア寿命を重視する用途ではFZが選ばれる。表面に特別な抵抗率や結晶層が必要なら、CZまたはFZ基板へエピタキシャル層を追加する。(sumcosi.com)

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重要なのは、1951年の成長接合型トランジスタが、これらすべての完成後に作られたわけではないことである。シーメンス法、実用的なシリコンFZ、MCZ、現代的なエピタキシーの多くは、その後に発達した。

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1951年の段階でティールとモーガン・スパークスが実現したのは、単結晶を成長させる途中でドーパントを切り替え、結晶内部へn型、p型、n型の順番を書き込むことだった。1950年4月から二種類の不純物ペレットを順に融液へ加える実験が行われ、薄いベースを持つn-p-n構造が形成された。1951年には、その成長接合型トランジスタが点接触型を上回る性能を示した。(CHM)

#
高純度化が「未知の不純物を消す技術」なら、 成長接合型トランジスタは「既知の不純物で内部構造を書く技術」だった。
#

こうして不純物は、取り除くべき汚染から、エミッタ、ベース、コレクタを作り分ける設計言語へ変わっていく。

#

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13.1951年、成長接合型トランジスタが作られた

#

ティールが単結晶を成長させる技術を確立すると、モーガン・スパークスは、結晶を引き上げている途中でドーパントを溶融ゲルマニウムへ加える方法を試した。

#

最初はn型として成長させ、途中でp型不純物を加える。続いてn型不純物を加え直すと、一本の単結晶内部に、

#
n型 → p型 → n型
#

の順で領域を形成できる。

#
引き上げられる結晶

   n型
   ███
   p型  ← 薄いベース
   ███
   n型
   ███
      ↑
溶融ゲルマニウムへ
不純物を順番に加える
#

1950年にティールとスパークスは、この方法でn-p-n構造を作り始めた。1951年には、成長接合型トランジスタが点接触型を上回る性能を示し、ベル研究所が公表した。(CHM)

#

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14.「薄いベース」を結晶成長中に作る

#

接合型トランジスタでは、中央のベース領域を薄くしなければならない。

#

n-p-n型では、エミッタから注入された電子がp型ベースを通り、反対側のコレクタへ到達する。

#
n型          p型          n型
エミッタ     ベース       コレクタ
████████|──|████████
電子  ─────────────→
#

ベースが厚すぎると、多くの電子が途中で正孔と再結合し、コレクタへ届かない。

#
厚いベース

電子 → × 再結合
電子 → × 再結合
        ↓
出力が小さい
#

薄いベースなら、多くの電子が再結合する前に通過できる。

#
薄いベース

電子 ─────────→ コレクタ
        ↓
大きな電流を制御
#

スパークスとティールは、ドーパントを入れる時刻と結晶の引き上げ速度を調整することで、一本の単結晶内へ薄いベース層を形成した。

#

ここでは、ベースの厚さが金属針の間隔ではなく、結晶成長工程の時間と材料組成によって決められた。(CHM)

#

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15.接点を探す製造から、内部構造を作る製造へ

#

点接触型と成長接合型では、製造思想が異なる。

#
点接触型

完成した結晶
      ↓
表面へ金属針を押し当てる
      ↓
良好な接点を調整する


成長接合型

結晶を成長させる途中
      ↓
不純物を切り替える
      ↓
内部にn-p-n構造を作る
#

点接触型では、機能の中心が表面の微小接点にあった。

#

成長接合型では、エミッタ、ベース、コレクタの働きが結晶内部へ組み込まれた。接点が多少動いても、内部のp-n接合そのものが消えるわけではない。

#

これによってトランジスタは、調整して動かす装置から、材料内部へ設計された装置へ近づいた。

#

初期半導体産業では、その後も成長接合型、合金接合型、表面障壁型、拡散ベース型など複数の構造が試され、各社がそれぞれに専用の製造装置を開発した。(CHM)

#

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16.結晶を作った後にも、多数の工程が必要だった

#

良質な単結晶を作るだけでは、トランジスタは完成しない。

#

成長した結晶は、必要な部分を切り出し、表面を研磨・洗浄し、電極を接続し、外部環境から守る容器へ封止する必要がある。

#
高純度原料
   ↓
単結晶成長
   ↓
p型・n型領域の形成
   ↓
切断・成形
   ↓
表面処理
   ↓
金属電極の接続
   ↓
パッケージへ封止
   ↓
電気特性を測定
#

金属リードの接続にも注意が必要だった。接触抵抗が大きすぎれば、トランジスタ内部が正常でも外部回路へ信号を出せない。

#

また、ゲルマニウム表面が酸化・汚染すれば漏れ電流や雑音が増えるため、パッケージは単なる外箱ではなく、表面と接合を環境から守る装置だった。

#

ベル研究所のトランジスタ開発には、結晶成長やゾーン精製だけでなく、p-n接合形成、表面処理、金属リード接続、回路応用まで含まれていた。(CHM)

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17.検査によって、結晶は型番を持つ商品になった

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工場で作ったすべてのトランジスタが、まったく同じ性能になるわけではない。

#

製品化には、一個ずつ測定し、規格に応じて分類する工程が必要だった。

#

測定される項目には、

#
  • 電流増幅率
  • 漏れ電流
  • 耐えられる電圧
  • 雑音
  • 周波数特性
  • 温度特性
  • 接触抵抗
#

などがある。

#
製造された素子
        ↓
電気特性を測定
        ↓
規格内 ──→ 製品
        ↓
規格外 ──→ 廃棄または別用途
#

ここで重要になるのが歩留まりである。

#
歩留まり=良品数製造した総数{\text{歩留まり}=\frac{\text{良品数}}{\text{製造した総数}}}
#

純度と単結晶性が改善されれば、材料由来のばらつきが減り、同じ工程から規格内の製品が得られる割合が高くなる。

#

半導体の価格は、使ったゲルマニウムの量だけでは決まらない。良品を何個取れるか、検査や調整にどれだけ手間がかかるかによって大きく変わる。

#

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18.1952年、ベル研究所は製造技術を外部へ広げた

#

AT&Tとベル研究所は、トランジスタ技術を自社だけで閉じるのではなく、特許ライセンスと技術講習を通して外部企業へ広げた。

#

1952年4月には、ライセンス料を支払った40社以上から100人を超える技術者がベル研究所のトランジスタ技術シンポジウムへ参加した。講習では、材料精製、単結晶成長、接合形成、表面処理、金属接続、製造設備などが伝えられ、参加者はウェスタン・エレクトリックの製造工場も見学した。

#

参加企業には、大手電機企業だけでなく、当時まだ規模の小さかったテキサス・インスツルメンツやソニーも含まれていた。(CHM)

#
ベル研究所
   ↓
特許ライセンス
技術講習
製造ノウハウ
   ↓
複数企業が開発へ参入
   ↓
半導体産業が拡大
#

トランジスタの普及には、発明の公開だけでなく、作り方を学べる技術体系が必要だった。

#

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18.5 研究所の一貫製造から、半導体産業の供給網へ

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1952年の技術公開が重要だったのは、トランジスタの回路図や特許だけが外部へ渡ったからではない。半導体を作るには、材料を精製し、結晶を育て、切断し、表面を整え、接合と電極を作り、容器へ封止し、最後に特性を測らなければならない。ベル研究所とウェスタン・エレクトリックが外部へ広げたのは、こうした材料・加工・組立・検査をつなぐ製造体系だった。

#

ただし、1940年代から1950年代前半の供給網は、現在のファウンドリ、材料メーカー、装置メーカー、OSAT、テストハウスが分業する構造とは大きく異なっていた。多くの工程は通信機器会社や総合電機会社の内部に抱え込まれ、専用装置も社内の工作室で作られていた。現代の半導体サプライチェーンは、最初から水平分業として生まれたのではなく、戦争中に形成された共同研究網と、戦後の企業内一貫製造が少しずつ外部へ分解されることで成立したのである。

#

戦争前――ベル・システムの内部で技術が循環した

#

戦争前のAT&Tには、すでに独特の垂直統合体制があった。

#
AT&T
通信網の運営と長期方針
        ↓
ベル研究所
基礎研究・回路・材料・装置の開発
        ↓
ウェスタン・エレクトリック
電話機・真空管・交換機などの量産
        ↓
各地域の電話会社
通信網へ設置し、長期間運用
#

ベル研究所は1925年、AT&Tとウェスタン・エレクトリックの研究部門を統合して設立された。電話網が必要とする低雑音、長寿命、均一性、保守性を研究所が定義し、ウェスタン・エレクトリックが量産し、電話会社が実際の通信網で使用する。この循環によって、研究成果を製品へ変え、運用中に発見された問題を再び研究所へ戻すことができた。(CHM)

#

当時の中心部品は真空管、リレー、抵抗、コンデンサー、ケーブルだった。半導体はまだ独立した産業ではなく、セレン整流器、銅酸化物整流器、鉱石検波器などが、電源や無線受信機の部品として存在していたにすぎない。シリコンやゲルマニウムの加工も、専用の「半導体製造装置」で行われたのではなく、冶金、宝石加工、光学研磨、真空管、化学分析の技術を借りていた。

#

戦争中――軍事研究が企業と大学を一つの回路へ結んだ

#

第二次世界大戦が始まると、通信会社内部の研究だけでは、マイクロ波レーダーに必要な材料と部品を短期間でそろえられなくなった。

#

MIT放射研究所を中心とする計画には、大学、軍研究機関、化学会社、通信機器会社、電機メーカーが参加した。Purdue大学はカール・ラーク=ホロヴィッツを中心にゲルマニウム整流器を研究し、原料となるゲルマニウムを得るため、鉱山・精錬会社Eagle-Picherとも連携した。シリコン精製ではペンシルベニア大学やDuPontが重要な役割を担った。(Purdue Physics)

#
軍・OSRD・NDRC
研究課題、資金、仕様を設定
        ↓
MIT放射研究所
レーダー全体を統合
        ↓
大学
材料物性、精製、測定
        ↓
化学・精錬会社
シリコン、ゲルマニウム原料
        ↓
ベル研究所など
整流器の構造・回路・規格を開発
        ↓
ウェスタン・エレクトリックなど
部品を量産
        ↓
航空機・艦船・地上レーダーへ搭載
#

ベル研究所の戦時中の結晶整流器開発も、マイクロ波兵器を対象とする広範な共同研究の一部だった。材料、接点、構造、封止を改良した結果、猫ひげ検波器の原理を受け継ぎながら、感度、安定性、耐振動性を持つ小型カートリッジが作られた。1N21系などは型番と仕様を持つ部品となり、シリコンやゲルマニウムの結晶整流器は連合国のレーダー向けに数百万個規模で生産された。(Nokia Corporation | Nokia)

#

ここで形成されたのは、単なる研究者の交流ではない。

#
  • 軍が要求性能を決める
  • 大学が材料物理を解明する
  • 化学会社が高純度原料を供給する
  • 通信・電機会社が部品構造を設計する
  • 工場が検査可能な規格品として量産する
#

という、初期の半導体サプライチェーンだった。

#

研究成果の多くは戦時中には機密扱いだったが、戦後には論文、特許、技術書として公開された。MIT放射研究所の成果も、1947~1951年に刊行された全27巻のシリーズへ整理され、戦時中の共同研究で育った人材と知識が民間産業へ移っていった。(MIT Lincoln Laboratory)

#

戦後――軍需のネットワークが民間の産業基盤へ変わった

#

戦争が終わると、レーダー用整流器を支えた技術者、装置、材料知識は消えず、電話、補聴器、ラジオ、計算機へ転用された。

#

米国では、高純度材料を扱った大学や化学会社、マイクロ波部品を量産した工場、真空管や無線機を作っていた総合電機メーカーが、トランジスタへ参入できる基礎能力を持っていた。Raytheonは1948年に点接触半導体の生産を始め、1950年代初頭には接合型トランジスタの有力な外販メーカーとなった。Philco、GE、RCA、Sylvania、Westinghouse、Philipsなども、真空管、無線、軍用電子機器の技術を基盤に半導体へ進んだ。(CHM)

#

一方、新しい専業企業も現れた。Radio Development & Researchの子会社Germanium Productsは1952年に成長接合型ゲルマニウム・トランジスタを市場へ出し、Transitronも同年、元パン工場を拠点として創業した。欧州ではマタレーとウェルカーの研究を基礎にIntermetallが1952年に設立された。Texas Instrumentsは1951年に現在の社名となり、1952年にベルの技術ライセンスを取得した後、ゴードン・ティールを迎え、1954年の商用シリコン・トランジスタへ進んだ。(CHM)

#

この段階で、半導体産業は、

#
電話会社の内部技術
        ↓
軍用部品を作る共同研究網
        ↓
総合電機会社の半導体部門
        ↓
半導体を外部へ販売する専業企業
#

へ広がり始めていた。

#

結晶を切って商品にするまで――加工技術の初期形

#

現在は単結晶インゴットを、

#
スライス → 面取り → ラッピング → エッチング → 研磨 → 洗浄 → 検査
#

という明確な工程でウェハーへ仕上げる。

#

しかし1940年代から1950年代前半には、この順番が完全に独立した装置群として成立していたわけではない。レーダー用整流器や初期トランジスタでは、結晶棒から小さな薄片、角柱、ペレットを切り出し、一個ずつ加工する場合が多かった。大口径ウェハー全面へ同じ素子を何百個も作るプレーナ工程以前であり、現代の「ウェハー製造ライン」をそのまま過去へ当てはめることはできない。

#

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スライス――結晶から使える部分を切り出す

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初期には、ゲルマニウムやシリコンの棒をダイヤモンド刃、砥石、細い金属刃と砥粒によって一枚ずつ切断した。結晶が小さかったため、目的は多数枚を高速に得ることより、割らずに必要な接合部分を切り出すことだった。

#

切断機は半導体専用品ではなく、宝石、ガラス、光学結晶、金属組織試料の切断機を改造したものだった。刃の厚さ、振動、送り速度、冷却液は、工場内の技術者が試行錯誤して決めた。

#

後にDISCOとなる第一製砥所は1937年に砥石メーカーとして創業していたが、1950年代前半にはまだ半導体切断装置の会社ではなかった。1956年に0.13~0.14ミリメートル厚の超薄型砥石を開発し、さらに装置へ進むのは1970年以降である。つまり、この時代には後の専門企業が持つ基礎技術は存在していても、半導体装置産業としてはまだ独立していなかった。(Disco)

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面取り――独立工程というより、欠けを防ぐ手仕上げだった

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切断した結晶の角は欠けやすく、小さな亀裂が後の加工や熱処理で広がる。そのため縁を砥石や研磨材で軽く削ったが、現在のようにエッジ形状、半径、ノッチ位置を装置で精密管理する独立工程ではなかった。

#

小片を治具へ固定し、作業者が顕微鏡や拡大鏡で欠けを確認しながら縁を整える。面取りは製品規格というより、次工程で結晶を壊さないための技能だった。

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ラッピング――光学研磨を半導体へ移した

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スライス面には刃の筋、厚さのばらつき、微小な割れが残る。そこで結晶片を鋳鉄やガラスなどの平らな定盤へ当て、酸化アルミニウムや炭化ケイ素の砥粒を含む液体で両面を削った。

#

これはレンズ、時計部品、金属試料で使われていたラッピングの応用である。初期には作業者が結晶片を手で動かしたり、簡単な回転治具へ取り付けたりした。厚さと平行度はマイクロメーターなどで途中測定し、基準へ入るまで加工を繰り返した。

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エッチング――傷んだ表面を化学的に取り去る

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機械的に切断・研磨すると、表面の原子配列が乱れ、微細な亀裂や変形層が残る。半導体では、この数マイクロメートル程度の損傷が漏れ電流、接点抵抗、キャリア寿命へ影響するため、酸やアルカリで表面を溶かす工程が必要になった。

#

初期の薬液処理は、ガラス容器へ結晶片を入れ、作業者が時間、温度、色、気泡の出方を見ながら行うものだった。薬液の組成、撹拌、処理時間は研究所や会社ごとに異なり、エッチングは量産装置よりも化学実験に近かった。

#

後にSCREENとなる大日本スクリーン製造は、写真製版、ガラススクリーン、精密画像処理の技術を持っていたが、半導体向けエッチング装置へ本格参入したのは1970年代である。1950年代前半には、薬液工程もデバイスメーカー自身が槽、籠、配管、排気設備を設計していた。(Screen)

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研磨――鏡面よりも、再現可能な接点を作ることが先だった

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点接触整流器や点接触トランジスタでは、金属針が触れる局所表面の状態が性能を左右した。そのため研磨の目的は、現在のようなウェハー全面のナノメートル級平坦化だけでなく、酸化物、傷、汚れを除き、同じような金属―半導体接触を再現することだった。

#

細かな砥粒、布、革、ピッチなど、光学研磨で使われていた材料が試された。しかし強く機械研磨すると新たな損傷を作るため、化学エッチングと軽い研磨を組み合わせる工程へ移っていった。全面鏡面ウェハーの重要性が急速に高まるのは、酸化膜、フォトリソグラフィ、拡散をウェハー全面へ適用し始める1950年代後半以降である。ベル研究所で印刷・写真製版技術がシリコン加工へ転用され始めたのも1955年だった。(CHM)

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洗浄――見える汚れから、電気特性を変える汚染へ

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初期の洗浄では、油、研磨粉、酸残りなどを溶剤、酸、蒸留水などで除去した。しかしトランジスタ研究によって、肉眼では見えない金属イオン、酸化膜、吸着分子、表面電荷までが性能を左右すると分かった。

#

そのため洗浄は、単に結晶をきれいに見せる作業ではなく、

#
前工程の残留物を除く
        ↓
表面状態を一定にする
        ↓
次の接点・接合工程を再現可能にする
#

ための製造工程へ変わった。

#

ただし薬液の供給、洗浄、乾燥を自動化した専門装置はまだなく、化学者と製造技術者が社内で手順を決め、作業者が複数の槽の間を移し替えていた。

#

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検査――良い場所を探す作業から、規格品を選別する工程へ

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鉱石検波器では、金属針を動かして感度のよい場所を探した。戦時中のレーダー用整流器では、この不安定な操作を工場内へ移し、接触圧、整流特性、高周波損失、雑音を測り、合格した接点を固定・封止するようになった。

#

トランジスタではさらに、

#
  • 電流増幅率
  • 漏れ電流
  • 雑音
  • 周波数応答
  • 温度特性
  • 耐電圧
#

を一個ずつ測定し、性能別に分類した。

#

初期には製造条件のばらつきが大きかったため、検査は単なる不良排除ではなかった。同じ工程から生まれた素子を、高利得品、標準品、高周波品などへ分け、異なる型番や用途を与える役割を持った。

#

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前工程と後工程は、まだ一つの工場の中にあった

#

この時代には、現在の意味で前工程と後工程を分けることは難しい。

#

当時の前工程に相当する作業

#
原料精製
単結晶成長
結晶の切断・研磨・洗浄
p型・n型領域の形成
金属接点・電極の形成
#

当時の後工程に相当する作業

#
結晶片を支持台へ固定
リード線を接続
金属・ガラス・樹脂容器へ封止
外観検査
電気テスト
性能別の選別
#

しかし、これらは独立した会社へ分かれていなかった。ベル研究所が工程を開発し、ウェスタン・エレクトリックの工場が加工機や治具を自作し、組立・封止・試験まで行った。ウェスタン・エレクトリックのアレンタウン工場は1951年にトランジスタ量産を機械化し、1950年代を通じて必要な製造装置を工場内部で設計・製作した。(ETHW)

#

外部企業も、ベルから完成した製造ラインを購入したわけではない。特許、講義資料、サンプル、工程説明を受け取り、自社の工作室で結晶炉、切断治具、接点形成機、ボンダー、試験器を作り直した。

#

つまり1950年代前半の半導体会社は、

#
材料メーカー、ウェハーメーカー、デバイスメーカー、装置メーカー、OSAT
#

を一社の中へ圧縮したような存在だった。

#

前工程装置と後工程装置を外部企業が「ターンキー」で供給する構造が明確になるのは1960年代以降である。後に装置会社は、拡散炉、成膜、露光などの前工程側と、ダイボンディング、ワイヤーボンディング、パッケージ、テストなどの後工程側へ専門化していった。(CHM)

#

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なぜAT&Tは技術を外部へ広げたのか

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AT&Tとベル研究所は、最初から半導体技術を無条件で開放したわけではない。

#

戦争前のベル・システムでは、研究成果を通信網の内部で利用し、ウェスタン・エレクトリックが製造する仕組みが基本だった。戦時中には軍事上の必要から、政府主導の共同研究網の中で大学、企業、軍機関と知識を共有したが、その多くは機密管理されていた。

#

戦後になると、状況は変わった。トランジスタは電話網の増幅器だけでなく、軍用通信、補聴器、ラジオ、計算機、計測器へ広がる可能性を持っていた。ベル研究所のジャック・モートンは、外部の研究者や企業へ技術を広げれば、各社が異なる材料、構造、用途を開発し、その成果をAT&T側も利用できると考えた。1951年9月には、まず軍事利用者を対象とした技術会議が開かれた。(CHM)

#

1952年4月のトランジスタ技術シンポジウムでは、40社以上から100人を超える技術者が参加した。各社は2万5000ドルのライセンス料を支払い、9日間にわたって材料、単結晶成長、接合、表面処理、リード接続、回路応用を学び、アレンタウンのウェスタン・エレクトリック工場も見学した。参加者にはGEやRCAのような大企業だけでなく、当時は小規模だったTexas Instrumentsや東京通信工業、後のSonyも含まれていた。(CHM)

#

この公開には、技術交流によってトランジスタを早く改良したいという産業上の判断に加え、1949年に米司法省がAT&Tとウェスタン・エレクトリックを相手に起こした反トラスト訴訟という背景もあった。1952年のライセンスは有料だったが、標準化された非差別的な契約で広く提供された。訴訟は1956年の同意判決へつながり、ベルの既存特許はさらに広範に利用可能となった。(Yale Department of Economics)

#

したがって、この技術移転を単純な「無償の善意」と捉えるべきではない。

#
戦時中に育った共同研究の文化
        +
外部企業の改良を取り込みたい戦略
        +
電話以外の巨大な市場への期待
        +
反トラスト政策による開放圧力
        ↓
トランジスタ技術の広範なライセンス
#

という複数の要因が重なっていた。

#

ベル研究所が外部へ渡した技術は、各社で同じ製品になることはなかった。Texas Instrumentsは高温に強いシリコンへ進み、RaytheonやGermanium Productsはゲルマニウム製品を外販し、Philcoは高周波素子へ進んだ。東京通信工業は1953年に米国でライセンスの機会を知り、自社で材料精製と製造工程を作り直し、1955年に日本初のトランジスタラジオを商品化した。(Sony)

#

こうして、ベル・システムという一つの企業集団の中にあった技術は、材料、部品、装置、通信、家電、軍需へ枝分かれし始めた。

#
戦争が半導体の材料と量産技術を磨き、 ベル研究所が増幅素子としてまとめ、 ライセンスが各企業へ製造能力を移した。

この時点で半導体は、一社の研究成果から、複数企業が改良を競う産業へ変わり始めたのである。

#

ただし、最初のトランジスタは真空管より高価で、周波数、出力、温度特性にも制約があった。すべての電子機器がすぐに置き換わったわけではない。最初に市場を作ったのは、小型、軽量、低消費電力という利点へ、特に高い代価を支払える製品だった。

#

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#

19.最初の市場は、小型化に高い価値がある製品だった

#

初期のトランジスタは真空管より高価だったため、すぐにすべての電子機器を置き換えたわけではない。

#

最初に採用が進んだのは、補聴器や携帯ラジオなど、小型・低消費電力であることに大きな価値がある製品だった。

#

1952年の補聴器には、一本の接合型トランジスタと二本の真空管を組み合わせた製品も登場した。完全に真空管を捨てるのではなく、トランジスタの利点が大きい部分から置き換えていったのである。(CHM)

#
真空管

高性能だが
大きい・加熱が必要


トランジスタ

当初は高価だが
小さい・電池が長持ち
        ↓
補聴器や携帯ラジオに有利
#

商品化とは、技術的に動くことだけではない。

#

その素子の高い価格を払ってもよい用途を見つけ、量産が進むにつれて価格を下げていくことでもあった。

#

#
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#

20.1954年、シリコンが商品として姿を現した

#

初期のトランジスタでは、精製・結晶成長・低電圧動作の面で扱いやすかったゲルマニウムが先行した。

#

しかしゲルマニウムは温度が上がると漏れ電流が増えやすく、高温で特性を維持することが難しかった。

#

シリコンは加工温度が高く、初期には高純度結晶を作るのが難しかった一方、

#
  • 高温で動作しやすい
  • 逆方向漏れを抑えやすい
  • 安定した二酸化シリコン膜を作れる
#

という将来性を持っていた。

#

1954年、ベル研究所ではモリス・タネンバウムらがシリコン・トランジスタを作り、テキサス・インスツルメンツではベル研究所から移ったゴードン・ティールを中心に、商用シリコン・トランジスタが開発・発表された。(CHM)

#
1947年

ゲルマニウム点接触型
        ↓
1951年

ゲルマニウム成長接合型
        ↓
1954年

商用シリコン・トランジスタ
        ↓
後の集積回路へ
#

ティールは、ベル研究所で単結晶ゲルマニウムを育てた経験を、テキサス・インスツルメンツでシリコンの商品化へつなげた。

#

発明者だけでなく、結晶を作れる人物の移動が、産業の地図を変え始めたのである。

#

#
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#

第6章まとめ――半導体の商品は、材料と工程の集合だった

#

1947年の点接触トランジスタは、結晶が信号を増幅できることを示した。

#

しかし、それを商品へ変えたのは、単独の新しい回路ではなかった。

#
高純度化
   ↓
未知の不純物を減らす

単結晶成長
   ↓
原子配列とキャリア移動をそろえる

ドーピング
   ↓
p型とn型を設計する

接合形成
   ↓
エミッタ・ベース・コレクタを作る

電極・封止・検査
   ↓
外部回路へ接続し、規格を保証する
#

チョクラルスキー法を半導体へ応用したティールとリトルは、大型単結晶を作った。

#

ファンとシューラーは、ゾーン精製によって不純物を結晶の端へ追いやった。

#

スパークスとティールは、結晶成長中にドーパントを切り替え、一本の単結晶内部へn-p-n構造を作った。

#

ベル研究所は、これらの知識を表面処理、金属接続、製造、回路技術と結び付け、さらに外部企業へ広めた。(CHM)

#

半導体は、原料を削って組み立てるだけの部品ではない。

#
材料を純化し、原子を並べ、 不純物を配置し、境界を作ることで、 機能そのものを物質の内部へ書き込む製品である。
#

この発想が確立したことで、トランジスタは実験室の金属針から、型番を持つ交換可能な工業部品へ変わった。

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しかし、1950年代前半のトランジスタは、まだ一個ずつ切り出し、一個ずつ電極を付ける個別部品だった。増幅器、抵抗、コンデンサーを一つの回路にするには、それぞれを基板上で配線しなければならない。

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次の課題は明確だった。

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一つの単結晶の上へ、複数の素子と配線をまとめて作れないか。
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その答えが、プレーナ工程、酸化膜、フォトリソグラフィ、そして集積回路へつながっていく。

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https://note.com/atom_/n/n40d89679c46a

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