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第3部6章 ショックレー研究所と八人の離脱

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第3部一個の素子から一枚の回路へ

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https://note.com/atom_/m/md08c7fdafe05

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第6章 ショックレー研究所と八人の離脱

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発明者の研究所から、シリコンバレー型企業へ

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1954年、シリコン・トランジスタは、研究試料から工業製品へ進み始めた。

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しかし、半導体産業の中心はまだ米国東海岸にあった。ベル研究所、ウェスタン・エレクトリック、RCA、GE、Philcoなど、電話、真空管、無線機器を作ってきた組織が、材料研究から製造までを担っていた。

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その流れを西海岸へ運んだ人物が、ウィリアム・ショックレーである。

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ショックレーは接合型トランジスタの理論を築き、半導体物理を工業技術へ近づけた優れた研究者だった。しかし、自ら設立した研究所では、技術上の構想と組織運営の間に大きな亀裂が生じた。

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その研究所から1957年に八人の技術者が離脱し、フェアチャイルド・セミコンダクターを設立する。

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この出来事は、単なる上司と部下の対立ではない。

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一人の発明者が研究を率いる時代から、 異なる専門家が工程を分担し、 投資家とともに新会社を作る時代への転換
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だった。

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1.ショックレーは、ベル研究所を離れて西へ向かった

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ショックレーは1936年にベル研究所へ入り、戦後には固体物理研究グループを率いた。バーディーンとブラッテンが点接触トランジスタを実現した後、ショックレーは接合型トランジスタの理論をまとめ、より安定して製造できる固体増幅器への道を示した。

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しかし、ベル研究所は巨大な通信システムのための研究組織だった。個人が自由に会社を率い、自らの構想を製品化する場所ではない。

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ショックレーはやがて、自分の研究成果を自らの組織で事業化したいと考えるようになった。1955年、彼はニュージャージーを離れ、幼少期を過ごしたカリフォルニア州パロアルト周辺へ戻った。(NobelPrize.org)

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ベル研究所

巨大通信網のための共同研究
        ↓
組織の方針に沿って製品化


ショックレーの構想

自分で研究チームを作る
        ↓
新しいシリコン素子を事業化する
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2.当時の西海岸は、まだ半導体産業の中心ではなかった

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1950年代半ばのサンフランシスコ湾岸には、現在のような半導体企業群は存在していなかった。

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それでも、地域には新しい電子産業を受け入れる土台が作られつつあった。スタンフォード大学では、フレデリック・ターマンが大学と企業の連携を推進しており、1951年にはスタンフォード・インダストリアル・パークが設立されていた。Hewlett-PackardやVarianなど、計測器、マイクロ波、軍用電子機器に関わる企業も育ち始めていた。(Stanford Engineering 100)

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ただし、半導体材料やトランジスタ製造の技術者は東海岸に集中していた。

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ショックレーの研究所は、完成した産業集積へ入ったのではない。

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半導体企業がほとんど存在しない場所へ、 人材と製造技術を東海岸から移植する試み
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だったのである。

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3.資金を出したのはアーノルド・ベックマンだった

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ショックレーの構想を支援したのが、計測器メーカーBeckman Instrumentsを率いていた化学者・起業家アーノルド・ベックマンである。

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1955年9月、ショックレーとベックマンは、半導体研究所をBeckman Instrumentsの一部門として設立することで合意した。研究所はカリフォルニア州マウンテンビューに置かれ、1956年2月に正式発表された。(CHM)

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ショックレー

半導体理論
人材の知名度
新素子の構想
        +
ベックマン

資金
会社組織
計測器事業の製造基盤
        ↓
Shockley Semiconductor Laboratory
#

ベックマンは最終的に100万ドルを超える資金を投入したが、研究所は利益を上げることができなかった。(CHM)

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3.5 ベル研究所の拡散技術が、西海岸へ運ばれた

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ベックマンが資金を提供しただけでは、ショックレー研究所がシリコン半導体を作れるわけではなかった。必要だったのは、ベル研究所で蓄積されてきた材料精製、結晶成長、表面処理、拡散、金属電極、測定を結び付ける製造知識である。

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とくに重要だったのが、完成した単結晶の表面から不純物を内部へ入れ、p型とn型の領域を作る拡散技術だった。

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それまでの成長接合型トランジスタでは、結晶を引き上げる途中で融液へ加えるドーパントを切り替え、結晶内部へn型、p型、n型の順序を作っていた。これは点接触型より安定した接合を作れる方法だったが、接合の位置やベースの厚さは、結晶の成長速度、融液の混ざり方、不純物の偏析に左右された。

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合金接合型では、半導体表面へ金属粒を置き、加熱して局所的に溶かし込むことで接合を形成した。しかし、溶け込む深さや接合の形を均一にそろえることは難しかった。

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これに対して拡散法では、まず性質のそろったシリコン単結晶を用意し、その表面を高温のドーパント源へさらす。

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高純度シリコン単結晶
        ↓
表面を研磨・エッチング・洗浄
        ↓
石英管の高温炉へ入れる
        ↓
ホウ素やリンなどを表面へ供給
        ↓
不純物原子が結晶内部へ拡散
        ↓
p型・n型領域とp-n接合を形成
#

高温では、ホウ素やリンなどの原子がシリコン結晶の格子内を少しずつ移動する。表面付近ではドーパント濃度が高く、内部へ進むほど低くなる。もともとn型だったシリコンへp型ドーパントを拡散すれば、表面側はp型へ変わり、内部には元のn型領域が残る。その二つが切り替わる深さにp-n接合が生まれる。

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温度を高くすれば原子は速く移動し、処理時間を長くすれば、より深い領域まで入る。したがって拡散炉の温度、処理時間、ドーパント濃度を管理することで、接合の深さを工程条件として設計できた。

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ベル研究所ではカルビン・フラーらが、1950年代前半にゲルマニウムとシリコンへの不純物拡散を研究した。1954年には、フラー、ダリル・チャピン、ジェラルド・ピアソンが、n型シリコン表面へホウ素を拡散させ、広いp-n接合を持つ実用的なシリコン太陽電池を作った。これは、シリコン表面の広い範囲へ均一な接合を形成できることを示した成果でもあった。

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同じ技術をトランジスタへ応用すると、薄いベース領域を表面から形成できる。

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例えば、n型シリコンをコレクタとして使い、最初にp型不純物を拡散してベースを作る。次に、その表面からn型不純物を浅く拡散すれば、エミッタ、ベース、コレクタを同じ側から形成できる。

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処理前

n型シリコン
=コレクタ


第1の拡散

p型ベース
────────
n型コレクタ


第2の拡散

n型エミッタ
────────
p型ベース
────────
n型コレクタ
#

二つの拡散深さの差が、ベースの厚さになる。結晶成長中に短時間だけドーパントを切り替える方法よりも、表面を基準として薄いベースを制御しやすい。ベースが薄くなれば、エミッタから注入されたキャリアが途中で再結合する前にコレクタへ到達し、高い増幅率と高周波性能を得られる。

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拡散技術の価値は、接合を深くしたり浅くしたりできることだけではなかった。完成した単結晶へ後から機能を書き込めるようになったことが重要である。

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成長接合型

結晶を育てる工程
        =
素子構造を作る工程


拡散型

単結晶を先に作る
        ↓
表面加工によって
素子構造を後から作る
#

結晶材料の製造と、トランジスタ構造の形成が、しだいに別々の工程として考えられるようになったのである。

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さらに、シリコン表面へ二酸化シリコン膜を作り、膜の一部だけへ窓を開ければ、露出した場所にだけドーパントを入れられる。これによって拡散は、深さだけでなく、ウェハー表面のどこへp型・n型領域を置くかまで制御する技術へ近づいた。

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二酸化シリコン膜

██████ 窓 ██████
     ↓
   ドーパント
     ↓
窓の下だけをp型・n型化
#
#

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この考え方は、後のフォトリソグラフィ、プレーナ工程、集積回路の基礎になる。ただし、1955~1956年の段階では、酸化膜を保護膜と拡散マスクとして利用する技術は、まだ発展の途中にあった。ショックレー研究所が西海岸で取り組もうとしたのは、すでに完成されたIC製造工程ではなく、ベル研究所で生まれつつあった拡散型シリコン技術を再現し、量産可能な素子へまとめることだった。

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しかも、ベル研究所から技術を学んでも、同じ装置と結果が自動的に得られるわけではない。

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拡散型トランジスタを作るには、

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  • 均一な温度を保つ高温炉
  • 汚染の少ない石英管
  • 純度の高いドーパント源
  • 安定したガス供給装置
  • 表面損傷を取り除くエッチング
  • 金属汚染を残さない洗浄
  • 電極を形成する真空蒸着装置
  • 接合深さや電気特性を調べる測定器
#

が必要になる。

#

わずかな温度差、炉内の汚れ、薬品中の金属、空気中の塵でも、接合深さ、漏れ電流、キャリア寿命が変化する。そのため拡散技術とは、単なる「温めれば不純物が入る」という原理ではなく、材料、表面、熱、気体、清浄度、測定を一体として管理する製造体系だった。

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ショックレーは、ベル研究所でこの技術体系が形成される過程を知っていた。ベックマンの資金によって研究所、炉、真空装置、人材をそろえ、西海岸へシリコン製造の基盤を移そうとしたのである。

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しかし、ベル研究所では、材料化学者、固体物理学者、機械技術者、回路技術者、ウェスタン・エレクトリックの製造部門が支えていた仕事を、新しい研究所では少人数で一から再構成しなければならなかった。

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この困難な仕事へ集められたのが、後に研究所を離れる八人を含む若い科学者と技術者たちだった。彼らの最初の課題は、新しい理論を発表することではない。ベル研究所で生まれた拡散技術を、まだ半導体産業の存在しない西海岸で、実際に動く製造工程へ変えることだった。

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3.5追記 拡散技術は、企業間の分業へ組み替えられた

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ベル研究所からショックレー研究所へ移された拡散技術は、当時、一つの研究所や工場の内部でほぼ完結していた。研究者がドーパントの挙動を調べ、機械技術者が拡散炉を改造し、化学者が表面洗浄を考え、製造部門が電極形成と検査を行う。材料、装置、工程、素子設計は、まだ明確に別々の産業へ分かれていなかった。

#

しかし、現在の半導体産業では、この仕事は複数の企業層へ分解されている。

#

最初に区別する必要があるのは、ドーピング工程を実際にウェハーへ施す企業と、そのための装置を製造する企業である。

#

現在、製品用ウェハーへドーパントを導入するのは、主としてファウンドリまたはIDMの前工程工場である。

#
ファブレス企業
回路・素子構造を設計
        ↓
ファウンドリ
ウェハー上へドーピング、成膜、
エッチング、配線を実施
        ↓
組立・テスト企業
切断、封止、最終試験
#

TSMCのようなファウンドリは、自社ブランドのCPUや通信機器を販売することを主目的とせず、顧客が設計した半導体を認定済みの製造工程で作る。TSMCは現在、先端ロジックから成熟プロセスまで多数の前工程工場を運営し、2025年時点の12インチ換算能力は年間1,300万枚を超えると説明している。ドーパント導入は単独の受託作業ではなく、酸化、成膜、露光、エッチング、熱処理、配線まで含むプロセス技術の一部として提供される。(TSMC)

#

一方、Intel、Samsung、Micron、STMicroelectronics、Texas Instruments、Infineon、RenesasなどのIDMは、製品設計と製造工程の両方を自社で持つ。例えばSTMicroelectronicsは、前工程のウェハー工場と後工程の組立・テスト工場をそれぞれ運営している。同社の整理では、前工程は一枚のウェハー上へ多数のトランジスタと配線を形成する段階であり、後工程は良品ダイを切り分け、パッケージへ組み込み、最終試験する段階である。(STMicroelectronics)

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この構造は、1950年代のショックレー研究所とは大きく異なる。当時は、拡散炉、蒸着装置、洗浄槽、測定器を研究所自身が導入・改造しなければならなかった。現在では、デバイスメーカーが工程条件を設計する一方、その条件を実行する装置は専門企業が供給する。

#

熱拡散、酸化、アニールなどの炉装置を供給する代表例がKOKUSAI ELECTRICである。同社は1960年代に半導体用不純物拡散の研究を開始し、拡散炉を開発した。現在は拡散だけでなく、酸化、高温・低温アニール、LP-CVD、ALDなどへ対応するバッチ式装置を供給している。(Kokusai Electric)

#
半導体メーカー・ファウンドリ
素子構造と工程レシピを設計
        ↓
装置メーカー
温度、ガス、圧力、イオン量を
再現する装置を供給
        ↓
半導体工場
装置を組み合わせて量産
#

ただし、現代の先端半導体では、1950年代型の熱拡散だけでp型・n型領域を作ることは少なくなった。主役となったのはイオン注入である。

#

熱拡散では、ウェハー表面へドーパントを供給し、高温による原子の移動を利用する。深さは主に温度と時間で決まるが、縦方向だけでなく横方向にも広がりやすい。これに対してイオン注入では、ホウ素、リン、ヒ素などをイオン化し、電界で加速してウェハーへ打ち込む。

#
ドーパント原子をイオン化
        ↓
電界で加速
        ↓
マスクの開口部へ照射
        ↓
指定した深さと量で注入
        ↓
熱処理で結晶を修復・活性化
#

Applied Materialsは、イオン注入を集積回路製造に不可欠なドーピング技術と位置づけている。注入量、エネルギー、角度を制御することで、しきい値調整、ウェル形成、ソース・ドレイン形成など、目的の異なるドーピングを作り分けられる。チップが複雑になるほど、必要な注入工程の回数も増えてきた。(Applied Materials)

#

イオン注入装置を専門に供給する代表的企業がAxcelisである。同社の装置は、先端ロジック、DRAM、NAND、パワー半導体などに使われ、低エネルギー、高電流、高エネルギーといった用途別の注入装置が用意されている。SiCパワー半導体向けには、アルミニウムなどを高温で注入する装置も必要になる。(Axcelis)

#

しかし、イオンを打ち込めば、それだけでトランジスタが完成するわけではない。高速のイオンが衝突すると、シリコン結晶の原子配列が乱れる。また、注入されたドーパントが格子内の適切な位置へ入らなければ、電子や正孔を供給できない。

#

そこで、注入後にはアニールを行う。

#
イオン注入
場所と量を決める
        ↓
結晶損傷が発生
        ↓
急速熱処理・炉内アニール
        ↓
結晶を修復
ドーパントを電気的に活性化
#

現代のドーピング工程は、注入装置だけでなく、熱処理装置との組み合わせとして成立している。1950年代には拡散炉がドーパントの導入と移動を同時に担ったが、現在は「どこへ入れるか」と「どう活性化するか」が別々の装置へ分かれたのである。

#

それでも、熱拡散が消滅したわけではない。

#

高電圧パワー半導体、バイポーラ素子、BCD、ダイオード、サイリスタ、センサーなどでは、深い接合や広い面積へ均一な濃度分布を作る必要がある。こうした用途では、イオン注入と長時間の熱処理、または熱拡散が現在も組み合わされる。STの前工程拠点でも、先端デジタルだけでなく、アナログ、BCD、MEMS、パワー半導体などの異なる製造技術が運用されている。(STMicroelectronics)

#

また、現代では結晶の表面から後でドーパントを入れるだけでなく、エピタキシャル層を成長させる途中で不純物を加えるその場ドーピングも使われる。パワー半導体のドリフト層や、先端トランジスタのソース・ドレイン領域などでは、膜の成長と同時に濃度を決めることで、急峻な濃度分布や材料組成を作れる。

#

つまり、現在のドーピングは一つの方法ではない。

#
熱拡散
深い接合・全面処理

イオン注入
位置・量・深さを精密制御

その場ドーピング
結晶層の成長中に濃度を設定

アニール
結晶修復・電気的活性化
#

これらを用途に応じて組み合わせることが、現代の最適解になっている。

#

重要なのは、工程を担当する企業が分かれても、ドーピング条件そのものは依然としてデバイスメーカーやファウンドリの中核機密であることだ。注入エネルギー、照射量、炉温度、時間、ガス流量、アニール条件が少し変われば、しきい値電圧、耐圧、漏れ電流、速度、歩留まりが変わる。

#

装置メーカーは精密に再現できる機械を販売するが、どの条件で動かすかというレシピは、通常、半導体メーカーが製品構造と合わせて設計する。

#

ベル研究所では、材料研究者、装置技術者、回路研究者、ウェスタン・エレクトリックの製造部門が一つの企業集団に集まっていた。ショックレー研究所は、その技術体系を少人数の組織として西海岸へ移そうとした。現在では、それが、

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ファブレスによる設計、 ファウンドリやIDMによる工程統合、 装置メーカーによる精密装置、 材料メーカーによる高純度薬品とガス、 後工程企業による組立・テスト
#

へ分解され、世界的な供給網を形成している。

#

それでも根本は変わっていない。

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不純物をどこへ、どれだけ、どの深さまで入れ、 その原子をどのように電気的に働かせるか。
#

ベル研究所で始まったこの問いは、熱拡散からイオン注入、エピタキシャル成長、急速熱処理へ姿を変えながら、現在もトランジスタ製造の中心に残っている。

#

#

4.研究所の目的は、シリコン技術を量産へ近づけることだった

#

Shockley Semiconductor Laboratoryは、ベル研究所で発達した拡散技術を使い、シリコン半導体を作ることを目指していた。

#

当時、商用トランジスタの主流はまだゲルマニウムだった。シリコンは高温特性や耐圧に優れていたが、融点が高く、結晶、拡散、表面処理、電極形成のすべてが難しかった。

#

研究所では、

#
高純度シリコン
       ↓
単結晶成長
       ↓
ドーパントの拡散
       ↓
p型・n型領域の形成
       ↓
金属電極の蒸着
       ↓
電気特性の測定
#

という工程を一から作る必要があった。

#

同研究所は北カリフォルニアで初期のシリコン素子を試作し、後のシリコンバレーを担う技術者へ、拡散、酸化膜、結晶成長、電極形成などの経験を与えた。(CHM)

#

#

5.ショックレーは「世界で最も創造的なチーム」を集めようとした

#

ショックレーは、ベル研究所の元同僚を西海岸へ呼ぼうとした。しかし、経験豊富な半導体研究者の多くは移住やショックレーの下で働くことを望まなかった。

#

そこで彼は、大学や他産業から若い科学者・技術者を集めた。

#

物理学、化学、冶金、光学、機械、電子回路など、専門の異なる人材を採用し、半導体の経験が少なくても学習能力が高い者を選んだ。ショックレーの知名度と研究内容は、MIT、Caltech、Stanfordなどを出た若手研究者を引き付けた。(CHM)

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研究所は1956年時点で、極めて優秀な若手人材が集まる場所となった。

#

しかし、優れた個人を集めただけでは、優れた組織になるとは限らなかった。

#

#

6.後に離脱する八人は、異なる専門性を持っていた

#

1957年に離脱した八人は、同じ仕事をする研究者の集団ではなかった。

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| 人物 | 主な専門・役割 |
| ジュリアス・ブランク | 機械加工、設備、製造装置 |
| ヴィクター・グリニッチ | 電子回路、測定・テスト |
| ジャン・ホーニ | 固体物理、結晶表面、後のプレーナ工程 |
| ユージン・クライナー | 機械技術、設備構築、事業調整 |
| ジェイ・ラスト | 物理、光学、後のフォトリソグラフィ |
| ゴードン・ムーア | 物理化学、拡散、材料、電極形成 |
| ロバート・ノイス | 半導体物理、素子構造、組織統合 |
| シェルドン・ロバーツ | 冶金、シリコン単結晶成長 |
#

ブランクとクライナーはWestern Electricで製造技術を経験していた。ロバーツは冶金学、ムーアは物理化学、ラストは光学、ノイスとホーニは物理学を背景に持っていた。(CHM)

#

これは偶然の組み合わせではない。

#

半導体は、一つの理論だけでは作れない。

#
材料
+
結晶
+
拡散
+
光学
+
機械加工
+
電気測定
+
組立
        ↓
一つの動作する素子
#

八人は、後に一つの小さな半導体工場を自力で作れるだけの専門分野を、集団として持っていた。

#

#

7.装置は購入するのではなく、自分たちで作った

#

当時は、現在のような半導体製造装置メーカーが一式の装置を販売していたわけではない。

#

ゴードン・ムーアの回想によれば、研究所では一般の実験炉や真空蒸着装置を購入し、半導体加工へ使えるよう改造した。高温拡散に必要な均一温度領域を持つ炉がなく、ガス配管、炉、純水設備の多くを自作したという。

#

ウェハーのすすぎに使う蒸留水も、複数の大型ガラス瓶を接続した手作りの装置で供給していた。(Computer History Archive)

#
市販の実験炉
        ↓
温度分布を改造

ガラス管・バルブ
        ↓
拡散ガス供給装置を自作

蒸留水瓶
        ↓
洗浄・すすぎ設備を自作
#

この研究所は、完成された工場ではなかった。

#

研究者が物理現象を調べるだけでなく、ガラス細工、配管、電気回路、治具製作まで行う、半導体工場の原型だった。

#

#

8.清浄度という見えない敵にも直面した

#

シリコン加工では、微量の金属、塵、ナトリウム、有機物などが電気特性を変える。

#

しかし、Shockley Semiconductor Laboratoryには現代的なクリーンルームがなく、施設も簡素だった。ムーアは後年、空調や清浄設備が不十分で、良好な電気特性を持つ素子を安定して作るのが難しかったと回想している。(Computer History Archive)

#
同じ拡散条件
同じ金属電極
同じ設計
        ↓
それでも特性がそろわない
        ↓
原因

粒子
金属汚染
表面状態
炉内の温度差
薬品純度
#

ただし、失敗は無駄ではなかった。

#

研究者たちは、

#
どの汚染が性能を壊すのか どの装置では再現性が出ないのか どこを清浄化しなければならないのか
#

を学んだ。

#

この「何をしてはいけないか」という経験が、後のフェアチャイルド工場を短期間で立ち上げる力になる。

#

#

9.当初の目標は、拡散型シリコン・トランジスタだった

#

若い研究者たちが研究所へ参加した時、主要な目標は、拡散工程によってシリコン・トランジスタを作ることだった。

#

拡散型では、シリコンを高温に置き、ホウ素、リン、ガリウムなどの不純物を表面から内部へ移動させる。

#
シリコン表面
       ↓
ドーパントを供給
       ↓
高温で原子が内部へ拡散
       ↓
p型・n型領域を形成
       ↓
薄いベースを作る
#

結晶成長中に不純物を切り替える成長接合型より、表面から位置と深さを制御しやすい。さらに酸化膜とフォトリソグラフィを組み合わせれば、一枚のウェハー上へ同じ構造を繰り返し作れる可能性があった。

#

ムーアは研究所で、拡散技術と拡散型シリコン素子の実験を担当していた。(Computer History Archive)

#

#

10.ショックレーは、四層ダイオードへ重点を移した

#

やがてショックレーは、一般的なシリコン・トランジスタよりも、自らが構想した四層ダイオードの開発を優先するようになった。

#

四層ダイオードは、

#
p型
───
n型
───
p型
───
n型
#

というp-n-p-n構造を持つ。

#

一定の電圧を超えると急に導通状態へ移り、導通すると低抵抗状態を維持する。この性質は、電話交換機のスイッチなどへの応用が想定されていた。

#

理論的には興味深い素子だったが、製造には複数の接合を正確な位置と濃度で作る必要があった。しかも用途は、一般的なトランジスタより限られていた。

#

研究者たちは、まず市場が存在するシリコン・トランジスタを生産し、そこから高度な素子へ進むべきだと考えた。ショックレーは、より独創的で難しい四層素子を優先した。(CHM)

#

#

11.技術上の対立は、研究と商品化の順序をめぐる対立だった

#

この対立を、「若手は簡単な製品を作りたがり、ショックレーだけが未来を見ていた」と整理するのは正確ではない。

#

八人も、四層ダイオードの原理そのものを否定していたわけではなかった。

#

問題は、商品化の順序だった。

#

ショックレーの考え

#
高度で独自性の高い素子
        ↓
競争相手が少ない
        ↓
大きな技術的優位
#

若手技術者の考え

#
製造可能なシリコン・トランジスタ
        ↓
市場へ出して工程を改善
        ↓
売上と量産経験を得る
        ↓
より高度な素子へ
#

研究所は純粋な基礎研究機関ではなく、Beckman Instrumentsの事業部門である。製品を作り、収益を得なければならなかった。

#

どの素子を先に量産するかは、科学上の選択であると同時に、経営上の選択だった。

#

#

12.1956年のノーベル賞が、権威の差をさらに広げた

#

1956年、ショックレーはバーディーン、ブラッテンとともに、半導体研究とトランジスタ効果の発見によってノーベル物理学賞を受賞した。(NobelPrize.org)

#

研究所の職員たちは受賞を祝い、ショックレーの下で働くことに大きな誇りも感じていた。

#

しかし、組織内では、

#
世界的な物理学者である所長 対 20代から30代前半の若い技術者
#

という権威の差がさらに大きくなった。

#

ノーベル賞は、ショックレーの物理学上の功績を証明した。しかし、優れた科学者であることは、研究者の意見をまとめ、製造日程を管理し、市場を選び、信頼関係を作れることを意味しない。

#

研究所が必要としていたのは、理論上の指導者だけでなく、工程、製品、組織を結ぶ管理者だった。

#

#

13.問題は「厳しい上司」だけではなかった

#

ショックレーの組織運営では、情報の共有が制限され、研究者が互いの仕事を十分に知らされないことがあった。

#

電話の記録、職員間の秘密保持、ポリグラフ検査を求めた出来事など、疑念を前提とする管理が行われたと、当事者の証言や後年の研究は記録している。(Stanford Law Review)

#
情報を細かく分割
        ↓
全体を知るのは所長だけ
        ↓
漏洩を防ぎやすい


しかし同時に

工程間の連携が弱まる
失敗を共有できない
相互不信が強まる
判断が所長へ集中する
#

半導体製造では、結晶、拡散、洗浄、電極、組立、検査の結果が相互に影響する。

#

情報を遮断すれば、ある工程の失敗原因を別工程の担当者が発見できなくなる。

#

科学研究の秘密保持と、製造工程に必要な情報共有が衝突したのである。

#

#

14.「割れた指」の事件が、不信を象徴した

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研究所の職員が小さな切り傷を負った際、ショックレーは、その原因となった画鋲が意図的に置かれた可能性を疑ったとされる。

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その後、職員へポリグラフ検査を受けさせようとした出来事は、研究所内の不信を象徴する事件として語られている。(Stanford Law Review)

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重要なのは、事件そのものの大きさではない。

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技術者たちが、

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自分たちは問題を解決する仲間ではなく、 疑われ、監視される対象として扱われている
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と感じたことである。

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失敗の多い先端研究では、実験ミスや装置故障を早く報告する必要がある。しかし、失敗を報告すれば責任を追及される環境では、問題が隠れやすくなる。

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半導体の歩留まりを高めるには、犯人を探すより、工程の原因を共有する文化が必要だった。

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15.八人は、ベックマンへ管理体制の変更を求めた

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研究者たちは、すぐに会社を去ろうとしたわけではない。

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まずBeckman Instrumentsのアーノルド・ベックマンへ働きかけ、ショックレーを科学的指導者として残しながら、研究所の日常管理には別の専門経営者を置く案を求めた。

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つまり、要望はショックレーの追放ではなく、

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ショックレー

技術構想・研究指導
        +
専門管理者

人員・日程・製品化・組織運営
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という役割分担だった。

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しかし、ベックマンは最終的にショックレーを支持し、若手側が望む形での経営交代は実現しなかった。八人は、研究所内部から組織を変えることは難しいと判断した。(CHM)

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16.彼らは、一人ずつ転職するのではなく、チームとして残ろうとした

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技術者たちは、別々の企業から個人で採用されることもできた。

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しかし、彼らは八人が持つ価値は、個々の能力を足したものより大きいと考えた。

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当時の投資提案書では、現在の経営上の問題から離れたいことに加え、集団として新しい雇用先を探し、チームの統一を維持したいという意向が示されていた。(Stanford Law Review)

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一人ずつ転職

結晶技術だけ
光学技術だけ
回路技術だけ
        ↓
別々の企業へ分散


チームで移動

材料+装置+拡散+光学+測定
        ↓
工場そのものを作れる
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この考え方が、後のシリコンバレー型創業の重要な特徴になる。

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技術者が企業の設備に従属するのではなく、人材チームそのものが新会社の中核資産になるという発想である。

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17.ユージン・クライナーが、外部資金への道を開いた

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八人の一人、ユージン・クライナーは、ニューヨークの金融機関との接点を探した。

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その話を受け取ったのが、投資銀行Hayden, Stoneに勤務していた若い金融家アーサー・ロックだった。

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当初、八人は既存企業に集団で雇用してもらうことを考えていた。しかしロックは、彼らを既存企業へ紹介するより、資金を集めて新会社を設立する方がよいと考えた。(CHM)

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従来の形

企業が研究者を雇う


新しい形

技術者チーム
       +
外部投資家
       ↓
新会社を設立
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これは、後のベンチャーキャピタルに通じる仕組みだった。

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ロックは後にIntelやAppleへの資金供給にも関わり、技術者と資本を結ぶ役割を担うようになる。(CHM)

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18.フェアチャイルド・カメラが新会社を支援した

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ロックらが資金提供者を探した結果、航空写真機器や軍用機器を手掛けていたFairchild Camera and Instrumentの創業者シャーマン・フェアチャイルドが、新会社を支援することになった。

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1957年9月、八人はFairchild Semiconductor Corporationを設立した。

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Fairchild Cameraは約138万ドルを融資し、新会社を企業部門として支えた。八人も自ら株式を購入し、技術者が会社の所有に参加する形が取られた。(Computer History Archive)

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新会社は、単なる研究所ではない。

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明確な目標は、拡散型シリコン・トランジスタを短期間で製品化することだった。

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19.1957年9月、八人は研究所を離れた

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1957年9月、ジュリアス・ブランク、ヴィクター・グリニッチ、ジャン・ホーニ、ユージン・クライナー、ジェイ・ラスト、ゴードン・ムーア、ロバート・ノイス、シェルドン・ロバーツは、Shockley Semiconductor Laboratoryを退職した。

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9月19日には、新会社設立の契約に署名した。(CHM)

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八人は後に「Traitorous Eight――裏切りの八人」と呼ばれるようになった。この呼称は一般にショックレーに結び付けられているが、誰が最初に使ったかについては記録が必ずしも明確ではない。(Wikipedia)

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彼らはベル研究所の機密設計を盗み出したのではない。

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研究所で身に付けた一般的な科学知識、実験経験、失敗の記憶、そして互いに協力する能力を持って移動した。

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この違いは重要である。

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図面や装置だけでなく、 何を試し、何に失敗し、 どう工程を組み立てればよいかという経験が、 半導体産業の最大の資産だった。
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20.八人は、離脱後わずかな期間で工場を作り上げた

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八人が集団として価値を持っていたことは、Fairchild Semiconductorの立ち上げによって証明された。

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新会社では役割を分担し、

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  • ロバーツがシリコン結晶成長
  • ラストとノイスがフォトリソグラフィ
  • ムーアが拡散と金属電極
  • ブランク、グリニッチ、クライナーが製造・テスト装置
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を担当した。

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五か月ほどで結晶成長、写真マスク、電極形成、製造、検査の基礎工程を立ち上げ、1958年にはシリコン・メサ型トランジスタを商業生産へ進めた。(CHM)

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ショックレー研究所で学んだこと

成功した実験
+
失敗した工程
+
必要な装置
+
必要な専門家
        ↓
フェアチャイルドで再構成
        ↓
短期間で量産工場を設立
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八人は、ショックレー研究所で完成品を作れなかったからこそ、次の工場で何を変えるべきかを理解していた。

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ショックレー研究所は、失敗だったのか

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事業として見れば、Shockley Semiconductor Laboratoryは成功しなかった。

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四層ダイオードの製品化は遅れ、八人の離脱後も利益を上げられず、Beckman Instrumentsは1960年に事業をCleviteへ売却した。(CHM)

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しかし、歴史的には単純な失敗とはいえない。

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研究所は、

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  • シリコン加工技術を西海岸へ運んだ
  • 若い科学者と技術者を一か所へ集めた
  • 拡散、結晶、酸化膜、電極形成を経験させた
  • スタンフォードへ半導体製造の知識を伝えた
  • Fairchild Semiconductorを生む人材集団を作った
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という役割を果たした。(CHM)

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ショックレーは、優れた企業を残すことはできなかった。

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しかし彼は、後に企業を作る人々を集めた。

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第6章まとめ――技術者の移動が、産業を作り始めた

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ベル研究所では、巨大企業が研究者、工場、資本、特許を一つの組織内へ抱えていた。

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Shockley Semiconductor Laboratoryでは、一人の著名な科学者が、優れた若手を集めて新産業を作ろうとした。

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しかし、半導体製造は一人の天才が細部まで命令して完成する技術ではなかった。

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結晶を育てる者
拡散を制御する者
表面を理解する者
光で形を描く者
装置を作る者
特性を測る者
資金を集める者
組織をまとめる者
        ↓
全員が必要
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ショックレーの研究所で生じた最大の発明は、四層ダイオードではなかったのかもしれない。

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異なる専門家がチームとして会社を離れ、 外部資本を得て、新しい会社を作り、 自分たちの技術方針で工場を建てる
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という、新しい産業形成の方法だった。

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八人は、研究所から装置を持ち出したのではない。

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知識、経験、役割分担、そして互いへの信頼を持ち出した。

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1957年、その集団がフェアチャイルドへ移ったことで、半導体産業は、一つの研究所から企業が枝分かれする時代へ入る。

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次の課題は、シリコン・トランジスタを作ることだけではない。

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一枚のウェハー上へ、 同じ構造を繰り返し描き、 表面を酸化膜で守り、 複数の素子を金属配線で結べないか。
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その答えが、ジャン・ホーニのプレーナ工程、ロバート・ノイスの集積回路、そしてフェアチャイルドが築く新しい半導体製造へつながっていく。

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