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第3部6章補足 光で回路を描くまで

光・ネットワーク

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第6章補足 光で回路を描くまで

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写真製版、プリント基板、そしてフェアチャイルドを作った工程技術

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https://note.com/atom_/m/md08c7fdafe05

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第6章では、ショックレー研究所から八人の技術者が離れ、1957年にフェアチャイルド・セミコンダクターを設立するまでを見た。

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https://note.com/atom_/n/n40d89679c46a

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彼らは単に、優秀な研究者が集団で転職したのではない。

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フェアチャイルド創業時の大まかな役割は、次のように整理できる。

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シェルドン・ロバーツ
シリコン単結晶を作る

ジェイ・ラスト、ロバート・ノイス
光で加工位置を決める

ゴードン・ムーア、ジャン・ホーニ
拡散で接合を作る

ゴードン・ムーア
金属電極を形成する

ジュリアス・ブランク、ユージン・クライナー
工場と製造装置を作る

ヴィクター・グリニッチ
完成した素子を測定する
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この役割分担は、後世から割り当てた単純な担当表ではない。全員が必要に応じて複数の工程へ関わり、ホーニや後から参加した技術者も重要な役割を果たした。

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それでも、この整理から見えてくるものがある。

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八人は、トランジスタを研究する科学者集団ではなく、 材料から検査までを一巡できる、 小さな半導体工場そのものだった。
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ジェイ・ラストは後年、八人には異なる技能があり、集団として必要な能力がすべてそろっていたと回想している。ロバーツは結晶、ラストとノイスはステップ・アンド・リピートカメラ、ムーアとホーニは拡散、ムーアは金属蒸着、ブランクとクライナーは施設・装置、グリニッチは検査設備を担当した。もっとも、ラスト自身も、八人以外の技術者、とくに拡散を担当したデイヴ・アリソンらの貢献を見落としてはならないと強調している。(SEMI)

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では、なぜこの中に「光学」の専門家が必要だったのか。

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その理由を理解するには、半導体より前に成立していた写真製版とプリント基板の歴史まで戻らなければならない。

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1.回路を作る技術は、最初から電子工学の中にあったのではない

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初期のトランジスタは、結晶片へ金属針を当てたり、結晶内部に作られた接合を探して切り出したりして作られた。

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そこでは、素子の形を決めるのは、結晶成長、切断位置、金属接点を置く職人の手だった。

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一方、後の集積回路では、光でウェハー表面へ図形を転写し、その図形に従って、

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  • 不純物を入れる場所
  • 酸化膜を取り除く場所
  • シリコンを削る場所
  • 金属を残す場所
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を決める。

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この「光で物質の加工位置を指定する」という考え方は、物理学者がトランジスタを発明した1947年に突然生まれたものではない。

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その源流は、18世紀の感光化学、19世紀の写真と印刷、20世紀前半のプリント回路にある。

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2.シュルツェ――光が物質を変えることを示した

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1720年代、ドイツのヨハン・ハインリヒ・シュルツェは、硝酸銀を含む物質が熱ではなく光によって黒くなることを示した。

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彼は文字を切り抜いた紙を容器へ当て、日光を通すことで、内部の物質へ文字の形を写した。

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これは永久に残る写真ではなかった。光を当て続ければ、やがて全体が黒くなる。だが、光を遮った部分と当てた部分に異なる化学変化を起こせることが示された。18世紀末から1802年にかけては、トーマス・ウェッジウッドとハンフリー・デービーも、硝酸銀を塗った紙や革へ物体の輪郭を写したが、像を安定して固定することはできなかった。(Science History Institute)

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ここで生まれた基本原理は、後のフォトレジストにも通じる。

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光を当てる場所
        ↓
化学状態が変わる

光を遮る場所
        ↓
元の化学状態が残る
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光は、画像を見るためだけのものではなく、物質を選択的に変化させる道具になった。

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3.ニエプス――光で「耐食膜」を作った

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半導体フォトリソグラフィの遠い祖先として、とくに重要なのがジョゼフ・ニセフォール・ニエプスである。

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ニエプスは1820年代、光を受けると硬化して溶剤へ溶けにくくなるユダヤ・ビチューメンを、金属板や石板へ薄く塗った。原図やカメラ像を露光した後、光が十分に当たらず柔らかいまま残った部分を溶剤で洗い落とした。残った硬化膜を保護層として金属を薬品で腐食させれば、画像を持つ印刷版を作ることができる。ニエプスはこの方法をヘリオグラフィー、すなわち「太陽による描画」と呼んだ。(Science History Institute)

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金属板へ感光膜を塗る
        ↓
原図を重ねて露光する
        ↓
光が当たった膜が硬化する
        ↓
柔らかい部分を洗い流す
        ↓
露出した金属をエッチングする
        ↓
凹凸を持つ印刷版ができる
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ここには、現代の微細加工に必要な構造がほぼそろっている。

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ニエプスが作ろうとしたのは半導体ではない。印刷版である。

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しかし、

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光で膜の溶けやすさを変え、 その膜を使って下の材料を選択的に削る
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という考え方は、後のフォトリソグラフィと同じである。

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4.タルボット――原版から同じ画像を複製した

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1839年、フランスではルイ・ダゲールが銀メッキした銅板へ像を作るダゲレオタイプを発表した。一方、英国のウィリアム・ヘンリー・フォックス・タルボットは、感光処理した紙へネガ像を作り、そこから複数のポジ画像を焼き付ける方式を発展させた。

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ダゲレオタイプが原則として一枚限りの画像だったのに対し、タルボットの紙ネガは、一つの原版から複数の画像を作る道を開いた。(The Metropolitan Museum of Art)

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一枚のネガ原版
        ↓
光を通して転写
        ↓
複数のポジ画像
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この考え方も、半導体製造へ受け継がれる。

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フォトマスクは完成品ではない。

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一つの原版から、同じ素子構造を繰り返しウェハーへ写すための道具である。

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5.ポワトヴァンとクリッチ――写真が工業用の版へ変わった

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19世紀半ば、アルフォンス・ポワトヴァンは、重クロム酸塩を加えたゼラチンなどの有機材料が、光を受けると硬化して水へ溶けにくくなる性質を利用した。

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これにより、写真の明暗を耐水膜や耐酸膜へ変え、印刷版を作る技術が実用へ近づいた。ビチューメンより扱いやすい感光材料を使えるようになり、コロタイプ、カーボン印画、フォトグラビアなどの写真製版法が発達した。(Getty)

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1870年代末には、カレル・クリッチが銅板と感光ゼラチンを組み合わせ、高品質なフォトグラビアを完成へ近づけた。写真の暗い部分では銅板を深く、明るい部分では浅く腐食させることで、保持するインク量を変え、写真の階調を印刷できるようにした。(Getty)

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ただし、プリント基板や半導体に必要なのは、美しい階調ではない。

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必要なのは、原則として二つの状態である。

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残す/除く
導通する/絶縁する
拡散させる/遮る
金属を置く/置かない
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写真製版が電子工業へ移ったとき、画像の美しさより、輪郭の正確さ、反復性、耐薬品性が重要になった。

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プリント基板――回路を手配線から図形へ変える

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6.部品は固定できても、配線は人の手で作っていた

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真空管ラジオや電話交換機などの初期電子機器では、抵抗、コンデンサー、コイル、真空管ソケットを筐体へ固定し、銅線を一本ずつ切り、曲げ、端子へはんだ付けした。

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このポイント・ツー・ポイント配線には、量産上の問題があった。

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同じ回路図を使っても、配線の長さや位置が作業者ごとに異なる。誤配線、はんだ不良、振動による断線も起きる。高周波回路では、線の配置が変われば寄生容量やインダクタンスも変化する。

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プリント回路が目指した最初の革命は、部品を小さくすることではなかった。

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配線を人が一本ずつ作る工程から、 同じ配線図形を板へ反復転写する工程へ変えること
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だった。

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7.アルバート・ハンソン――平面導体と多層構造の前史

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1903年、ベルリンのアルバート・パーカー・ハンソンは、絶縁シートの上へ平たい金属導体を配置し、複数のシートを重ねる電気配線構造を特許化した。

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現代的な銅箔エッチング基板ではなかったが、平面状の導体、絶縁層、表裏や層間の接続といった考え方を含み、後のフレキシブル回路や多層基板を思わせる構造だった。(Google Patents)

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ハンソンの発想では、配線は空中を走る丸い銅線ではなく、絶縁体と一体化した平たい導体へ変わり始めた。

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8.チャールズ・デュカス――導体を印刷し、めっきで育てた

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1925年、米国のチャールズ・デュカスは、絶縁性の支持体へ導電性パターンを作り、電解めっきによって導体を厚くする方法を特許化した。

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彼の目的は、コイルを一本ずつ巻き、部品間を手作業で接続する費用と時間を減らすことだった。特許には、溝や図形へ導電性材料を入れ、電解処理によって回路やコイルを形成する構想が示されている。(Google Patents)

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絶縁板へ図形を作る
        ↓
導電性材料を入れる
        ↓
電気めっきで金属を厚くする
        ↓
配線とコイルを形成する
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これは、必要な場所へ金属を追加していくアディティブ方式の祖先といえる。

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重要なのは、配線が回路図を見ながら組み立てられるものから、あらかじめ用意した図形によって製造されるものへ変わったことだった。

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9.ポール・アイスラー――金属箔から不要部分を取り除いた

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現代的なプリント基板へ直接つながる人物として知られるのが、オーストリア出身のポール・アイスラーである。

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アイスラーは1930年代から1940年代にかけて、絶縁基板と金属箔を組み合わせ、耐食インクで回路図形を印刷し、不要な金属をエッチングで除去する方法を研究した。1942年ごろに作られたアイスラーのラジオ受信機には、初期のプリント回路板が使用されている。(Science Museum Group Collection)

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1943年に出願された関連特許では、金属箔へ耐食性の図形を印刷し、覆われていない部分をエッチングで除去して導体パターンを残す構造が示されている。(Google Patents)

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絶縁基板へ金属箔を貼る
        ↓
必要な配線を耐食膜で覆う
        ↓
不要な金属をエッチングする
        ↓
配線だけが残る
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これは全面にある材料から不要部分を引くサブトラクティブ方式である。

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後のPCBだけでなく、半導体の金属配線加工にも通じる考え方だった。

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10.戦争がプリント回路を量産技術へ押し上げた

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第二次世界大戦中、小型、軽量、耐振動性が重要な軍用電子機器のため、プリント回路の研究が加速した。

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とくに航空機、通信装置、信管などでは、手配線した回路より、小さく、同じ形で繰り返し作れ、激しい衝撃へ耐えられる回路が必要だった。

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戦時中に開発された方式には、現在の銅箔エッチング基板だけでなく、セラミック板へ銀系導体を印刷する方法、導電塗料、金属溶射、真空蒸着、めっき、型押しなど、多数の方式が含まれていた。

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米国国立標準局は1946年2月から情報を公開し、1947年10月にはワシントンで最初の大規模なプリント回路技術シンポジウムを開催した。20人の講演者と700人以上の参加者が、塗装、吹き付け、型押し、化学析出、金属薄膜、印刷抵抗など多様な方法を検討した。軍側は、戦時中に機密扱いされていたプリント回路技術を、民生産業へ広げる意図を明確にしていた。(NIST Publications)

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1940年代後半には、プリント回路を使った補聴器も紹介された。小型化に高い価値がある市場では、多少工程が未成熟でも、手配線を置き換える理由があった。1948年の国立標準局資料には、従来方式で173個の構成要素を必要とする増幅器との比較も掲載されている。(NIST Publications)

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プリント基板は、この段階で完成された一つの規格ではなかった。

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しかし、次の思想は確立されつつあった。

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回路図を物理的な板へ転写し、 複数の配線を一括して作り、 同じ回路を繰り返し生産する。
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この思想が、数年後にシリコン表面へ移される。

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写真製版がシリコンへ入る

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11.ベル研究所――PCB用の写真製版をシリコンへ縮小した

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1955年、ベル研究所のジュールズ・アンドラスとウォルター・ボンドは、プリント回路のパターン形成に使われていた写真製版技術を、シリコンウェハーへ応用し始めた。

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シリコン表面へ二酸化シリコン膜を形成し、その上へ感光性のレジストを塗る。光学マスクを通して露光し、現像後に酸化膜を薬品でエッチングすれば、精密な窓を開けられる。

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その窓からホウ素やリンなどを拡散すれば、露出した場所だけをp型またはn型へ変えられる。(CHM)

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シリコン表面へ酸化膜を作る
        ↓
感光膜を塗る
        ↓
マスク越しに露光する
        ↓
現像する
        ↓
酸化膜へ窓を開ける
        ↓
窓の下だけへ不純物を拡散する
#

写真製版では、金属印刷版を作るために耐酸膜を使った。

#

プリント基板では、銅箔を配線へ変えるために使った。

#

ベル研究所では、シリコン内部の電気的性質を変える場所を指定するために使った。

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同じ「光、感光膜、現像、エッチング」という工程が、加工対象を変えながら受け継がれたのである。

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12.ラスロップとノール――配線と半導体を写真技術で近づけた

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米陸軍のダイヤモンド兵器信管研究所では、ジェイ・ラスロップとジェームズ・ノールが、電子回路を小型化するため、写真技術を使った微細加工を進めた。

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二人は1957年、セラミック基板上へ幅約200マイクロメートルの金属薄膜配線を形成し、個別トランジスタを接続する技術を特許化した。また、二酸化シリコン膜へ穴を開け、ダイオード配列を作ることにも写真製版を利用した。1958年には、プリント回路と一体化したトランジスタの写真製造技術について発表している。(CHM)

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ここでは、プリント基板と半導体はまだ別のものだった。

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セラミック基板
        ↓
写真技術で金属配線を作る
        ↓
個別トランジスタを載せる
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しかし、光で配線を作る技術と、光で半導体領域を作る技術が接近し始めていた。

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フェアチャイルド――前史を一つの製造ラインへまとめる

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13.八人が持ち込んだのは、発明ではなく工程を結ぶ能力だった

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1957年にフェアチャイルドを設立した八人は、写真製版、拡散、単結晶成長、金属蒸着を一から発明したわけではない。

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多くの原理はベル研究所、軍研究所、印刷、写真、プリント回路産業ですでに生まれていた。

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フェアチャイルドの仕事は、それらを、

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同じシリコン材料に対して、 決められた順序で、 繰り返し実行できる工程へ組み立てること
#

だった。

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わずか約5か月の間に、ロバーツは結晶成長設備を立ち上げ、ラストとノイスは16ミリ映画用レンズを利用した写真マスク技術を開発し、ムーアらは拡散とアルミニウム接触を整え、ブランク、グリニッチ、クライナーは製造・検査装置を構築した。(CHM)

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14.ロバーツ――回路を描く前の「白紙」を作る

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シェルドン・ロバーツの担当したシリコン結晶成長は、後のすべての工程の土台だった。

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フォトマスクがどれほど正確でも、結晶に転位、粒界、抵抗率のむらがあれば、同じ位置へ同じ量の不純物を入れても特性はそろわない。

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高純度シリコンを溶かす
        ↓
種結晶を接触させる
        ↓
回転しながら引き上げる
        ↓
単結晶インゴットを作る
        ↓
薄く切断する
        ↓
研磨・洗浄する
        ↓
加工可能なウェハーになる
#

ロバーツは冶金学を背景に持ち、フェアチャイルドで主としてシリコン結晶生産へ取り組んだ。ラストの回想では、ロバーツは創業直後から会社をシリコン結晶事業へ進ませた人物として描かれている。(CHM)

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ウェハーは、まだ回路を持っていない。

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だが、写真製版にたとえれば、これは像を受け取る平らで均一な印刷版に相当する。

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15.ラストとノイス――原図をシリコンへ繰り返し写す

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ジェイ・ラストは光学を学び、ロバート・ノイスとともに、フォトリソグラフィ工程と初期のステップ・アンド・リピートカメラを開発した。

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一個のトランジスタ用原図を光学的に縮小し、ウェハー上へ露光する。次に一定距離だけ位置を移し、同じ原図を再び露光する。

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一個分のトランジスタ原図
        ↓
光学的に縮小する
        ↓
ウェハーの一地点へ露光
        ↓
一定距離だけ移動
        ↓
再び露光
        ↓
同じ図形を全面へ繰り返す
#

1958年、ラストとノイスは初期のステップ・アンド・リピートカメラを作り、一枚のウェハーへ同じトランジスタ図形を多数配置した。商用のフォトリピーターが登場するのはその後であり、創業時には光学系そのものを工場側が組み立てる必要があった。(CHM)

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ここでフォトリソグラフィは、単なるエッチング補助技術から、工場全体の座標系へ変わった。

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マスク上の図形が、

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  • トランジスタの位置
  • 拡散領域の大きさ
  • メサを残す場所
  • 電極の位置
  • 一枚に作れる素子数
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を決めるようになった。

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16.ムーアとホーニ――図形へ電気的な意味を与える

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フォトリソグラフィが決めるのは、加工する場所である。

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しかし、光だけではシリコンはトランジスタにならない。

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ゴードン・ムーアとジャン・ホーニらは、マスクで指定された領域へドーパントを拡散し、p型、n型、エミッタ、ベース、コレクタを形成した。ラストの回想によれば、ムーアは拡散用の複雑なガラス配管を作り、金属蒸着にも関与した。ホーニも拡散へ深く関わり、半導体物理について鋭い洞察を持っていた。(SEMI)

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フェアチャイルドの初期製品では、n型シリコンへp型領域を深く拡散してベースを作り、続いてn型領域を浅く拡散してエミッタを作る二重拡散が使われた。

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n型シリコン
=コレクタ
        ↓
p型不純物を深く拡散
        ↓
p型ベース
        ↓
n型不純物を浅く拡散
        ↓
n型エミッタ
#

1958年、ムーアが率いるチームはn-p-n型、ホーニ側はp-n-p型の高電圧シリコン・トランジスタ開発を並行して進めた。初期受注は航空機搭載コンピューターの磁気コアメモリーを駆動するための製品であり、フェアチャイルドは短期間で商用シリコン・メサ型トランジスタへ到達した。(CHM)

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光で作った図形は、拡散によって初めて電気的な機能を持った。

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16.5 金属蒸着――内部に作った機能を、外部へ引き出す

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拡散によってシリコン内部へp型・n型領域を作っても、それだけではトランジスタを回路へ接続できない。

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エミッタ、ベース、コレクタは結晶内部に存在する電気的な領域であり、そこへ外部から電圧を加え、電流を取り出すためには、低抵抗で安定した金属電極が必要になる。

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ここで使われたのが金属蒸着だった。

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ドーピング拡散

シリコン内部へ不純物を入れる
        ↓
p型・n型領域を作る
        ↓
トランジスタの機能を作る


金属蒸着

シリコン表面へ金属膜を付ける
        ↓
内部の領域へ接触する
        ↓
電流の入口・出口を作る
#

両者は連続した工程ではあるが、目的は異なる。

#

拡散がシリコン内部の電気的性質を変える工程であるのに対し、金属蒸着は、完成した半導体領域と外部回路を結ぶための表面工程だった。

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点接触型では、金属を「描く」のではなく「押し付けた」

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1947年の最初の点接触トランジスタにも金属電極は存在した。

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ただし、ウェハー表面へ金属膜を蒸着して電極パターンを作ったのではない。バーディーンとブラッテンは、プラスチック製の楔へ巻いた金箔を先端で二つに切り分け、その二つの金接点を高純度ゲルマニウム表面へ押し付けた。一方がエミッタ、もう一方がコレクタとなり、ゲルマニウム片の下面に接する広い金属板が第三の端子として働いた。(CHM)

#

#
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金箔接点          金箔接点
エミッタ          コレクタ
    ▼                 ▼
────────────────────
      ゲルマニウム
────────────────────
         金属板
        ベース端子
#

この方式では、金属接点は単なる配線ではなかった。

#

金属とゲルマニウムが接する小さな領域そのものが、キャリアを注入し、回収する場所だった。接触位置、金箔の圧力、二点間の距離が少し変わるだけで特性も変わった。

#

したがって点接触型では、トランジスタ作用と金属接点が強く結び付いていた。

#

しかし、金箔や金属針を一個ずつ押し付ける方法には、量産上の限界があった。

#

接点の位置を同じにそろえにくく、圧力や表面状態によって性能が変化する。振動で接触状態が変わり、作業者が増幅の得られる場所を探さなければならない場合もあった。

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接合型トランジスタが登場すると、増幅作用を生み出す主要な構造は、金属接点から半導体内部のp-n接合へ移った。

#

金属の役割も変化する。

#
トランジスタ作用を起こす接点から、 シリコン内部に作られた領域へ電流を届ける端子へ。
#

この変化によって、金属を針や箔として押し付けるのではなく、薄く均一な膜として形成する価値が高まった。

#

#
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真空の中で、金属を原子へ戻す

#

金属蒸着では、ウェハーを真空チャンバーへ入れ、アルミニウムなどの金属を加熱する。

#

十分に高い温度になると、金属原子が表面から飛び出す。真空中では空気分子との衝突が少ないため、飛び出した金属原子はほぼ直線的に進み、向かい側に置かれたウェハー表面へ付着する。

#
真空チャンバー内

ウェハー
████████████
    ↑ ↑ ↑
  金属原子
    ↑ ↑ ↑
加熱された金属源
#

金属源を置く容器やフィラメントへ電流を流して加熱する抵抗加熱式のほか、後には電子ビームで金属を加熱する方式も使われた。

#

一度に付着するのは非常に薄い層だが、金属原子が次々と重なれば、電流を流せる連続した膜になる。

#

重要なのは、金属をシリコン全体の中へ混ぜるのではなく、表面へ別の材料層として積み重ねることである。

#
金属電極・配線
══════════════

二酸化シリコン膜
██████ ██████

p型・n型シリコン
────────────────
#

#
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なぜアルミニウムが選ばれたのか

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フェアチャイルド初期のシリコン素子では、アルミニウムが重要な電極材料となった。

#

ジェイ・ラストは後年、創業チームが良好な金属接触を得る方法を探し、ムーアらがアルミニウムを使う工程へ取り組んだと回想している。アルミニウムの採用にはノイスの提案が関係したという証言も残されている。(Computer History Archive)

#

アルミニウムには、初期のシリコン工程に適した特徴があった。

#

比較的蒸発させやすく、薄膜として形成できる。電気抵抗が低く、写真製版とエッチングによって必要な形へ加工できる。さらに、シリコン表面と接触させ、適切に加熱することで、電気的に安定した接点を作ることができた。

#

ただし、アルミニウムを表面へ付着させただけでは、必ずしも良好な電極にはならない。

#

シリコン表面には自然酸化膜、薬品残渣、金属汚染、吸着した水分などが残る可能性がある。これらが金属とシリコンの間へ挟まれば、接触抵抗が高くなり、電流が安定して流れない。

#

そのため金属化の直前には、接触させる場所の酸化膜を取り除き、清浄なシリコン表面を露出させる必要があった。

#
酸化膜で覆われた表面
████████████████
        ↓
接触位置だけ窓を開ける
██████  ██████
        ↓
金属を蒸着
══════╦══════
██████║██████
       シリコン
#

この「接触窓」をどこへ開けるかも、フォトリソグラフィによって決められる。

#

ベース領域へ通じる窓、エミッタ領域へ通じる窓を別々に作り、その上へ金属膜を形成する。金属膜をさらにマスクで加工すれば、それぞれ独立した電極になる。

#

蒸着と合金化は同じ工程ではない

#

初期の記述では、「金属を蒸着・合金化して電極を付ける」と一続きに書かれることが多い。

#

しかし、蒸着と合金化は本来、別の操作である。

#
蒸着

金属原子を飛ばす
        ↓
表面へ金属膜を形成する


合金化・熱処理

蒸着後に加熱する
        ↓
金属とシリコンの界面を反応させる
        ↓
接触を安定化する
#

蒸着は金属膜を付ける工程であり、合金化はその金属と半導体の境界を調整する工程である。

#

適切な温度で加熱すれば、金属膜の密着性を高め、接触抵抗を下げられる。しかし温度や時間が過剰なら、金属がシリコン内部へ入り込みすぎたり、浅いp-n接合を損傷したりする。

#

したがって金属化は、単に「最後に金属を付ける仕上げ」ではなかった。

#

拡散で作った接合の深さ、表面濃度、酸化膜の厚さ、加熱履歴を理解したうえで設計しなければならない、素子性能の一部だった。

#

#
記事内の画像
図・画像

電極から配線へ

#

メサ型トランジスタの段階では、金属膜の主な役割は、個別のエミッタやベースへ接続する電極を作ることだった。

#

金属電極から細いワイヤーを伸ばし、外部のリードやパッケージ端子へ接続する。

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シリコン上の金属電極
        ↓
細い金属ワイヤー
        ↓
パッケージ端子
        ↓
外部回路
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しかし、ホーニのプレーナ工程が登場すると、金属膜の役割は大きく変わる。

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シリコン表面に二酸化シリコン膜を残せば、その膜はトランジスタを保護するだけでなく、電気を通しにくい絶縁層として使える。酸化膜の上へアルミニウムを伸ばせば、金属はシリコンへ直接触れずに別の領域まで通過できる。

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そして必要な場所だけ接触窓を開ければ、離れたトランジスタ、抵抗、ダイオードを一本の金属膜で接続できる。

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アルミニウム配線
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酸化膜  接触窓    接触窓  酸化膜
███████║████████║███████
   素子A         素子B
──────────────────────
       シリコン基板
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ここで金属は、外部へ電流を出し入れする電極から、シリコン上で回路を構成する配線へ進化した。

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ノイスのモノリシック集積回路構想では、ホーニのプレーナ工程で作った複数の半導体素子を、酸化膜上の金属配線で接続することが核心となった。後のフェアチャイルドの集積回路工程でも、アルミニウムなどの金属層を形成し、マスクで配線形状を決め、熱処理によって接触を仕上げる方法が使われた。(Computer History Archive)

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この意味で、金属蒸着はプリント基板の思想をシリコン表面へ移す技術でもあった。

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プリント基板では、絶縁板の上へ銅配線を作り、その上へ個別部品を接続する。

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プレーナ集積回路では、

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シリコン内部
=トランジスタ、抵抗、ダイオード

二酸化シリコン膜
=絶縁板

アルミニウム膜
=配線
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となる。

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つまり、部品を載せる板、部品そのもの、配線が、一枚のシリコン上へ統合されたのである。

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金属化は、半導体を「使える回路」に変えた

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ドーピング拡散は、シリコン内部へ電気的な機能を作る。

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しかし、どれほど優れたトランジスタ領域を形成しても、電流の入口と出口がなければ測定も利用もできない。

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金属蒸着は、

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見えないp型・n型領域へ、 外部から触れられる場所を作る工程
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だった。

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点接触型では、金属を結晶へ一個ずつ押し付けた。

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接合型では、金属が内部領域へ接続する端子になった。

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プレーナ型では、金属膜が写真製版によって描かれ、複数の素子を結ぶ配線になった。

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押し付ける金属接点
        ↓
蒸着された個別電極
        ↓
写真製版された金属配線
        ↓
集積回路
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ムーアらが拡散と金属電極の両方に取り組んだ意味は、ここにある。

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彼らは一方で、シリコン内部へトランジスタの機能を作り、もう一方で、その機能を外部回路へ接続する道を作った。

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拡散がシリコンへ電気的な意味を与え、金属蒸着がその意味を回路として読み出せる形へ変えたのである。

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図・画像

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17.金属電極――写真製版とプリント回路が再び合流した

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拡散でトランジスタ領域を作っても、外部から電流を入れられなければ製品にはならない。

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シリコン表面へアルミニウムを蒸着し、エミッタ、ベース、コレクタへ接続する電極を作る必要がある。

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拡散領域を作る
        ↓
酸化膜へ接触窓を開ける
        ↓
アルミニウムを蒸着する
        ↓
不要な金属を除く
        ↓
電極を残す
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初期の金属は、個別トランジスタを外部リードへ接続するために使われた。

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しかし、ここにはプリント基板と同じ問いが生まれる。

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金属を外部端子へ伸ばすだけでなく、 シリコン上の別の素子へ伸ばせないか。
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この発想が後に、ノイスのモノリシック集積回路へつながる。

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図・画像

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18.ブランクとクライナー――工程を動かす機械を作る

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現在の半導体工場では、結晶成長炉、酸化炉、拡散炉、露光装置、蒸着装置、洗浄装置、プローバーを専門メーカーから購入できる。

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1957年には、その産業が十分に成立していなかった。

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ジュリアス・ブランクは施設と設備の構築を担当し、ユージン・クライナーは機械加工技術を使って専用装置や治具を作った。一般の実験炉や真空装置を購入できても、ウェハーを保持する器具、ガス配管、温度管理、位置決め機構は自分たちで設計しなければならなかった。(SEMI)

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市販の実験装置
        ↓
半導体用に改造する
        ↓
石英管を取り付ける
        ↓
ガス配管を作る
        ↓
ウェハー保持具を作る
        ↓
工程専用装置になる
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装置は技術を入れる箱ではない。

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温度、時間、位置、ガス量を繰り返し再現することで、初めて研究結果を製品へ変える。

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19.グリニッチ――見えない構造を電気で検査する

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トランジスタ内部のp型・n型領域は、完成品を外から見ても分からない。

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ヴィクター・グリニッチは、トランジスタの動作と回路用途を理解し、検査設備を立ち上げた。

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測定するのは、

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電流増幅率
漏れ電流
耐電圧
周波数特性
接触抵抗
温度特性
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などである。

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検査の目的は、良品と不良品を分けることだけではない。

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素子を測定する
        ↓
不良の傾向を見つける
        ↓
結晶・拡散・金属化条件へ戻す
        ↓
次の製造ロットを修正する
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という工程改善の循環を作ることにある。ラストは、グリニッチをトランジスタが何であり何に使われるかを理解し、試験施設を構築した人物として回想している。フェアチャイルドは後に、社内で蓄積した能力をもとに専用の試験装置部門まで設けた。(SEMI)

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メサ型からプレーナ型へ

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20.最初の成果は、台地状のトランジスタだった

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フェアチャイルドが最初に量産したシリコン・トランジスタは、メサ型だった。

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拡散によって形成した接合の周囲をエッチングし、中央の素子部分を台地状に残す。

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拡散でp-n接合を作る
        ↓
必要部分をマスクで保護する
        ↓
周囲のシリコンを削る
        ↓
中央部が台地状に残る
        ↓
接合を個別に分離する
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これは、写真製版、拡散、エッチング、金属化を一つの工程列へまとめた製品だった。

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だが、メサ型ではp-n接合の端面が外気へ露出する。湿気や汚染によって漏れ電流が変化し、信頼性の障害になった。

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21.ホーニ――酸化膜を剥がさず、表面に残した

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1959年、ジャン・ホーニは、シリコン表面の二酸化シリコン膜を単なる一時的な拡散マスクではなく、完成後も残す保護膜として使うプレーナ工程を確立した。

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メサ型

接合を作る
        ↓
周囲を深く削る
        ↓
接合端が露出する


プレーナ型

酸化膜を作る
        ↓
窓だけを開ける
        ↓
選択拡散する
        ↓
再び酸化膜で覆う
        ↓
接合端を保護する
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プレーナ工程によって、トランジスタ表面は平らなまま保たれ、フォトリソグラフィを複数回重ねやすくなった。

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ここで写真製版の価値がさらに高まる。

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一度だけ図形を写すのではない。

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ベース拡散、エミッタ拡散、接触窓、金属配線という異なるマスクを、同じ座標系へ重ねる必要があるからである。

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22.ノイスとラスト――プリント基板をシリコンの中へ入れた

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ロバート・ノイスは、ホーニのプレーナ工程で酸化膜が絶縁体として表面へ残ることに注目した。

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同じシリコン内部へ作ったトランジスタ、ダイオード、抵抗を、酸化膜上のアルミニウム配線で接続すれば、一枚のシリコンそのものを回路にできる。

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従来のプリント基板

絶縁板
+
銅配線
+
個別部品


ノイスの集積回路

シリコン内部
=部品

酸化膜上の金属
=配線
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1959年8月、ノイスはジェイ・ラストへ、ホーニのプレーナ工程と自らのモノリシック構想をもとに集積回路を開発するよう指示した。ラストが率いるチームは1960年、最初期のプレーナ集積回路を製造した。(CHM)

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プリント基板では、板の上へ部品を載せ、金属配線でつないでいた。

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集積回路では、部品と配線の両方を、一枚の材料上へ写真製版で作る。

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ここに、19世紀の写真製版、20世紀前半のプリント回路、1950年代のシリコン加工が合流した。

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記事内の画像
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補足記事まとめ――回路は「組み立てるもの」から「印刷するもの」になった

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フェアチャイルドの創業者たちが短期間でトランジスタを量産できた理由は、個々の工程を最初に発明したからではない。

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彼らの前には、長い技術史があった。

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光で物質が変化する
シュルツェ
        ↓
感光膜で金属をエッチングする
ニエプス
        ↓
原版から画像を複製する
タルボット
        ↓
写真を工業用印刷版へ変える
ポワトヴァン、クリッチら
        ↓
配線を板へ形成する
ハンソン、デュカス、アイスラーら
        ↓
軍需でプリント回路を量産する
        ↓
酸化膜へ拡散窓を作る
アンドラス、ボンド
        ↓
写真技術で微細配線と半導体を作る
ラスロップ、ノール
        ↓
ウェハー全面へ反復露光する
ラスト、ノイス
        ↓
拡散、金属化、検査と統合する
フェアチャイルド
        ↓
プレーナ工程と集積回路
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その上で、フェアチャイルドの八人は役割を分担した。

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ロバーツが、均一なシリコンという白紙を作った。 ラストとノイスが、光で図形を描いた。 ムーアとホーニが、図形へp型・n型という機能を与えた。 ムーアらが、金属で外部回路への出口を作った。 ブランクとクライナーが、その工程を繰り返す機械を作った。 グリニッチが、完成品を測定し、結果を工程へ戻した。
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この循環によって、トランジスタは一個ずつ組み立てる部品から、一枚のウェハー上へ同時に複製する製品へ変わった。

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写真製版が半導体へ与えた最大のものは、単なる微細加工ではない。

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設計図を、光を使って物質の構造へ変えること。 そして、その構造を同じ位置関係で何度でも複製すること。
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である。

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八人がショックレー研究所を離れたとき、彼らが持っていたのはトランジスタの理論だけではなかった。

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写真、印刷、化学、冶金、機械加工、電気測定という、それまで別々に発達してきた技術を、一つの製造工程へまとめる能力だった。

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その能力がフェアチャイルドで結び付いたとき、半導体は「発明された素子」から、「光によって繰り返し製造される回路」へ進み始めた。

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